SUBARU LEONE 素晴らしきかなスバル レオーネ

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■質実剛健の精神をそのまま形にしたレオーネ

スバル・レオーネは、レガシィが発売されるまでの昭和の時代に富士重工業の主力車種だったクルマ。名車の誉れ高いスバル1000や1300Gの血を受け継ぎ、国内では1971年から1988年まで販売された。’79年と’84年にモデルチェンジが施され、2代目と3代目はそれぞれ『ザ・ニューレオーネ』、『オールニュー・レオーネ』のシリーズ名で呼ばれた。
基本構造は、水平対向エンジンを搭載したFF車である。それまで珍しかった乗用車ベースの四輪駆動車も1972年発売のエステートバンからラインアップに加わり、のちにツーリング・ワゴンとしてブレイクする。レオーネはスバル4WDの基礎を築いたと言ってもよい。
はじめてレオーネに乗ったのは2代目のスイングバックの4WDで、雪深い信州の冬の山道を自由自在に走ることのできる走行性能には驚かされた。

レオーネをひとことで言えば、質実剛健の精神をそのまま形にした機能性に富んだクルマである。随所に独創性と工夫があり、その操作感は独特のクセがある。けれども、でこぼこの悪路やぬかるんだ泥道から風雪の高速道路まで、道を選ぶことなくそつなくこなす名馬である。リアシートを倒した広い荷物室には、相当な量の荷物を積み込める。幅900×高さ1800×奥行450の金属製の大型ロッカーも収まり、仕事先の事務所を夜逃げするときには重宝した。
独創のメカニズムとレイアウト、剛性感のあるボディは、製造からおよそ20年経過した時点でも申しぶんのない機能と実用性が備わっていた。雑誌やネット上でクルマのインプレションは山ほど目にするが、真価というのは新型車が発売されてすぐにではなく、何か想定外のトラブルがあったときや、10年20年乗り続けたときにさりげなくにじみ出てくるものだと思う。

■「スバルはねぇ・・・」という言い回し

 「スバルはねぇ・・・・・・」という言い回しがある。よい意味で使われることは、あまりない。
どんな風に使うかといえば、例えば、次のようなときに使う。

法定点検や車検などクルマの整備は、ずっとディーラーの整備部門にお願いしている。費用は町の整備工場よりも少し割高になるが、水平対向という特殊なエンジン形式であり、メーカーと繋がっている看板を信用しているからである。
ただし、メーカーもディーラーもポカをすることがあるので注意を怠ってはならない。

あるとき定期点検から仕上がっきたクルマに乗っていると、整備前よりも風通しがよく足元が涼しい。おかしいなと思って調べてみると、オイルパンを保護するために装着していたアンダーガードが、エンジン・オイルの交換時に取りはずされたままで装着されていなかった。付け忘れたのに気づかないような小さなパーツではない。幅50センチ×長さ80センチ前後ある大きなアルミの板である。〇〇スバルと呼ばれる各府県に1社ずつあるディーラーの本社工場にしてこのざまである。先の言い回しは、そんな時に使う。「スバルはねぇ・・・・・・、どこ見て仕事してるの? こんな仕事するのやったら、ビルの屋上にある大きな看板についている★をひとつはずしてもらおか?」

レオーネの発売当時も、クルマの基本性能に関わる本質的な部分以外、たとえば内装などには必要以上にコストをかけないというメーカーの設計思想はあまり理解されなかった。世間での評価は、〇〇馬力といったようにスペックが数値でわかるクルマ、スポーティなデザインなど見た目が恰好いいクルマ、電動設備や本革シートなど豪華な内装のクルマに人気が集まった。それらに縁遠いスバル車への人気は低く、国内市場での販売台数はずっと低迷していた。

レオーネに乗って関西から甲信越の各地に山やスキー、渓流釣りによく通った。当時は高速道路がまだ整備途上で、下道を何百㎞も走らないといけない。スバルのクルマは少なく、道中の1桁国道ですら対向車にスバル車が出現する確率は100台に1~2台ぐらいだった。一度スバルのクルマとすれ違ったあと、次は何台先にスバルが来るかを「スバルあてクイズ」と呼んで道中の暇つぶしによくやったものだ。

富士重工業のクルマづくりの基本姿勢は、見えない部分でも手を抜かないことだと思う。仰向けになってクルマの下に潜ってみれば、それは一目瞭然である。しかしその基本姿勢が徹底されればされるほど、スバル車の車両価格を押し上げていた。また、時代を先走りしすぎた面も否めず、その意味ではレオーネは不遇なクルマだったかもしれない。おまけに3代目レオーネのワゴンタイプは、発売直前に通称『鉛事件』が発覚し、販売開始が予定より大幅に遅れたりした。

この話は今となっては笑い話である。ごく簡単に書いておくので、詳しいことを知りたければネットで検索して欲しい。レオーネ・ツーリングワゴンの発売時、たしか燃費関連だったか安全対策のどちらかと思うが、運輸省への届け出値よりも車輌重量が軽く仕上がってしまった。発売時期が迫っていたので届け出値を改訂せず、ドアの内部に鉛を詰めて帳尻合わせをしたようだ。それが型式認定を受ける際にバレてしまった。今風に言えばデータの改竄である。
そんなわけで社運がかかったツーリングワゴンの発売が半年以上遅れたというお粗末な話である。だからリコール隠しなど何か不祥事がおきると「スバルはねぇ・・・・・・」などと言われる。

世紀もかわり、社名も変わってもう死語になったかなと思っていたが、2017年秋になって工場出荷時の無資格検査員の問題が発覚した。社長曰く、30年も前から不正行為が常態化していたという。やっぱり「スバルはねぇ・・・」という以外に言葉はない。

悪条件下をリラックスして運転できる不思議なクルマ

カタログに記載されているスペックだけからみたレオーネは、とても非力である。しかし、横風吹きすさぶ高速道路において、まるでレールの上を走っているような安定感をもち、さらに悪路や雪道でその本領を発揮する。荒れた林道やぬかるみ、除雪されていない雪道を進まねばならないときも、このクルマに乗っている限り、リラックスして臨むことができる不思議な力が備わっていた。

ヨソ見をしていたり不注意から、脱輪したり林道などでスタックしたこともこれまで数えきれないほどあるが、すべて自力で脱出することができた。というのも、地味な外見からはおおよそ信じられない走行性能のお陰といえる。

レオーネのボンネットを開けると目に飛び込んでくるのは、伝統と革新の水平対向エンジン! ではない。エンジンの後方にあるミッションのうえにデーンと鎮座するスペアタイヤ!である。それも省スペースと軽量化を狙った溝の少ない応急用の簡易タイヤではない。悪路での走破に備えて駆動輪に付けているのと同銘柄で同サイズのタイヤを収納することができる。山奥の悪路を走っていて、岩角でタイヤのサイドを切ってしまい立ち往生した経験のない人には、このことの意味がわからないかもしれない。
悪条件下をリラックスして走れることやクルマへの信頼性というものは、こういう細かいことの積み重ねによって裏付けられている。

■若獅子もいつかは老兵に

わがレオーネは、3代目の初年度型のAタイプである。鉛事件の不祥事から1年ほど経った1985年夏に故郷太田市を後にしている。その頃のスバルは、1年ごとに年次改良(マイナーチェンジ)を行なっていて、ラインではすでに2年目のBタイプの製造が始っていた。しかし、不祥事のあおりでスバルの低迷は続いていた。売れ残っていたAタイプのガラスやシートの生地を特別仕様にした“リミテッド”と銘打ったお買い得車を450台生産して、なんとか不良在庫を売りさばこうと努めていた。わがレオーネは鉛事件の影響で売れ残りとなっていた特別仕様車450台のうちの1台である。

売れ残りではあるが品物は悪くなかったので、1997年の秋までに111,111㎞を無事走破した。そのあと奥日光の山と新潟の川に行く道すがら、工場祭で賑わう故郷のまちにも凱旋した。

路上で動けなくなったのは、タイミングベルトが切れた時の一度だけである。そのときの走行距離は6万8千㎞だったのでまだ大丈夫だと油断していた。

1994年、西日本では晴天少雨が続いて空前の渇水となった。近畿の水瓶である琵琶湖は、観測史上最低の水位 B.S.L.-1.23mを記録し、湖岸各地で湖底の砂浜が姿を現した。環境調査のため琵琶湖に通い、湖岸各地で干陸域となった砂地や不整地に乗り入れたが、優れた軸重配分と直結四駆の威力をいかんなく発揮し、スタックすることなく無事に走リ切れたことは特筆に値するだろう。

さらに21世紀に入ってからも、大きなトラブルもなく順調に走り続けた。

発売から20年も経つとクルマのデザイン基調はすっかりかわってしまう。直線基調で角張ったデザインのレオーネは、遠くからみてもすぐ古いクルマだとわかる。おまけに汚いので巷ではボロいライトバンと囁かれ、デロデロ音を垂れ流す「にわかスバル乗り」からは、ご先祖さまなのに尻をつつかれることも多くなった。高齢車は、経年劣化する材質でできた部品交換などでなにかと物いりだし、自動車生産を基幹産業とするこの國では税制面で手厚い保護を受けず、逆に悪者としてペナルティを負わされている。
それでもスバル大躍進の捨て石となったこのクルマの存在を世に伝えていかねばならないと思いがあり、ボクサーサウンドを愛でながら乗り続けてきた。

■雨水との闘いに敗れた老兵は・・・

 しかし、最後はとうとうやってきた。つくられたモノである以上いつかは壊れるの仕方がないが、終わりかたがよくなかった。雨漏りがひどくなって乗り続けるのが不安になったのである。
3代目レオーネのボディは、フロント・ウインドウ廻りの金属部分のつくりが甘く、隙間や接合部に水や埃が溜まりやすいために錆がでやすく耐久性はよくなかった。ウインドウ両端にあるAピラーはレオーネのアキレス腱でもあり、ピラーの根元が錆びて塗装下で腐食が進んでいるクルマをよく見かけた。10年目ぐらいに一度フロントガラスを取り外して板金塗装をする大がかりな修理を行なった。しかし、それから何年も経たないうちに再びフロント・ウインドウの廻りがあちこち錆びてきて、雨のたびにエンジンルームや車内に水が溜まるようになってしまった。自分でシールをしたり、フェンダーをはずしてパテで穴を塞いだりしたが、針穴のようなウィークポイントを見つけて進入してくる水はなかなか手強く、とても素人の手には負えなかった。

車内に水が溜まると、カーペットが湿気を帯びて異臭を発するようになる。水害で泥水に浸かった家屋と同じ感じだ。そこで、車内のカーぺットと下敷きのフエルトを全部ひっ剥がして車内を洗車し、そのまま内装のないラリー車のような状態にして数年間乗っていた。ボクサーサウンドは車内に響いて快適だし、雨で車内に水が溜まったときも、フロアの水抜き穴に填めてあるゴム栓のドレンを抜けば、溜まっていた水はすぐに車外に排除できるようになった。
けれども、雨が降るたびにコクピットの計器板付近がびっしょり濡れてしまい、降雨後の数日間は足もとに水滴がしたたり落ちてくる。計器板の裏側付近は電気配線の集中している場所だし、これは精神的によくない。漏電による車輌火災の発生も懸念されるからである。

わがおんぼろレオーネの最後の大仕事は、山やスキーへのお供ではなく、600㎞ほど離れた大阪市内を流れる淀川への遠征だった。川面を埋め尽くして異常繁殖した特定外来生物(植物)の通称「ウォーターレタス」を駆除するボランティア作業へのお供だった。ゴムボート2隻、ザイル5本、ブルーシート数十枚、ガンゼキ数本、漁網などの機材を積んで5回ほど淀川へ通った。

そんなこんなで雨漏りをなんとか我慢しながら乗っていたが、ガソリン価格も高騰した2008年の秋に不本意ながら処分することにした。10万㎞を超えてからはエンジンも絶好調で、機関や変速機、動力伝達装置、足回りなどの動力性能にはまったく問題がないのに、ほんとうに惜しいことだと思う。
廃車に至った理由が機関の老朽化による走行困難ならば納得もできるが、決め手となったのは運転席の計器板付近などにある電気系統への雨漏り!とは情けない話だ。
スバル・レオーネは日本の道路事情とオーナーの使い勝手にあった本当にいいクルマだった。

平成に入ってから富士重工業の主力車種はレオーネからレガシィへ代わった。ここ20年ぐらい、スバル車は主力市場である北米市場で大人気を博している。国内市場でも高出力路線によって認知度が高まり、高額であるにもかかわらず街中でスバル車をごく普通に目にするようになった。
このところ我が世の春を謳歌している富士重工業の車づくりには、いろいろと申し上げたいことがある。レオーネ亡き今は大きく立派になった後継車種に乗っているが、ときどき「スバルはねぇ・・・・・・」という愚痴がでてしまう。それをここに書いてもしかたのないことである。

2017年4月、富士重工業株式会社は社名をスバルと変更するという。看板の刷新を期に「スバルはねぇ・・・・・・」とぼやかれない企業に変身してくれることを願っている。

Old soldiers never die, but fade away.

 ■おまけ レオーネが登場するドラマ(珍しいカーチェイスのシーン)

www.youtube.com


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