(85)沼のぬし 鬼頭熊次郎 信濃川

河畔に小屋をかけて四つ手網漁をする熊次郎
(長岡市郷土資料館 蔵)

長岡藩士 鬼頭熊次郎【1827-1868】は、幕末維新の動乱の北越戊申戦争に従軍し、長岡城奪還の奇襲を成功に導いた功労の兵士です。
剣術に長じていましたが、禄の少ない鬼頭家の家計を助くるために、山野に薪や小枝をあつめ、信濃川に漁をしたと語りつがれています。

長岡藩の軍事総督 河合継之助が率いる690名が、長岡北方にある見附から、信濃川右岸の八丁沖にあった広大な沼や川を渡り、西軍(官軍)の手に落ち本営となっていた長岡城を奪還した際、通過不可能と思われていた沼を縫う侵攻路を開きました。

司馬遼太郎の歴史小説『峠』には、城を奪還するためのルートの偵察から戻った熊次郎が、河合継之助に報告するくだりが描かれています。八丁沖の精通ぶりは、継之助をして「まるで沼のぬしだ」と言わしめたほどです。
7月25日の夜半、長い青竹で体を支えながらようやく前進という難渋をきわめた八丁沖の渡河に成功し、長岡城下町の北郊に位置する諸塁付近に上陸しました。しかし、熊次郎は突撃に移った時、敵の堡塁から放たれた銃弾をあびて戦死。熊次郎の背中にはライフル銃がありましたが、夜襲の要訣として発砲を禁じた継之助の軍令を守ってのことでありました。

八丁沖の戦いで勝利をおさめ一旦城を奪い返したものの、数日後には軍勢でまさる西軍に再び城を落とされ、八十里を越えて会津へと敗走しなければなりませんでした。  熊次郎の遺骸は、戦いののち、兄嫁によって捜しだされ先祖の墳墓に祀られました。かつて激戦の場であった長岡市富島町の日光神社境内には、熊次郎を称える碑が建立されています。

泳ぐ熊次郎


Memo

・信濃川/新潟県
・撮影:1995、2002、旧版公開:2002/06/03、改訂版公開:2017/03/03


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