福知山線のこと(5)惣川の工臨

1968年の3月に定期客車列車が無煙化されてからも福知山線には蒸気機関車の煙が残っていた。『惣川の工臨』と呼ばれる工事用臨時列車、貨物列車の一部、それに行楽期に大阪から三田や山陰地方との間で運転された臨時の客車列車などであった。
貨物や臨時列車を牽引した機関車は主に吹田第一機関区のD51やC11で、山陰方面への臨時列車が走るときは福知山線からいったん退役したはずのC57も元気な姿を見せていた。

『惣川の工臨』は線路に敷くバラスなどを運搬する工事用の貨物列車である。無蓋貨車やホッパー車に積まれた採石のほかに、宝塚の武庫川の河畔にあったウヰルキンソンの工場で瓶詰めされた炭酸水も有蓋貨車で運んでいたという。

工臨は吹田操車場と生瀬駅間で1日に2往復運行されていた。牽引する機関車は吹田第一機関区のD51が担当していた。経路は吹田から東海道本線と北方貨物線を経由して福知山線に入り、貨物ヤードのあった川西池田駅を中継点にして、積み込み用の砂利線が設けられていた宝塚駅の北側の惣川や生瀬駅との間を行き来していた。

土曜日でも学校があったので、午前中の1往復はあまり見に行ったことがない。早朝に吹田をでた下り列車は、空車の貨車を惣川や生瀬に運んで砂利線に留置したのち、上りはワフを従えて昼前に吹田に引き上げたという。
土曜日に授業が終わってからよく見に行ったのは午後の1往復である。昼過ぎに吹田を出発した下り列車は、ワフ1輌を従えたD51が逆行で生瀬までやって来る。朝の列車が砂利線に置いていった貨車には採石の積み込みが完了しており、上りの列車はその貨車を連結して川西池田に戻る。川西池田でダイハツの自動車運搬車など他の貨車を増結して貨物列車が編成され、夕方に吹田へと帰って行った。
資料※によれば、下りの吹田操車場発は早朝の04時48分、午後の上り列車の帰着は夕方の18時25分だった。じつに13時間以上をかけて吹田と生瀬を2往復していた。半世紀近くたった現在では想像もできないほどのんびりしたダイヤで運行されていた。

坂本 衛:「惣川の工臨」 鉄道模型趣味 NO.245 pp.746-750 【1968/11】

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