島熊山の一本松

この記事を含む島熊山に関連した4編の記事は、2012年に旧ブログで公開した論考に一部加筆して再公開したものである。
・島熊山の一本松 【初出:2012/01/07】 ◀ このページ
島熊山の山名と位置について(1)【初出:2012/01/10】
島熊山の山名と位置について(2)【初出:2012/01/15】
島熊山の山名と位置について(3)【初出:2012/01/18】

島熊山の一本松

春日町から島熊山方向をのぞむ春日町から島熊山方向をのぞむ【1969年 撮影】
西麓の春日町付近からみた一本松の立つピークと住宅地
(写真:豊中市広報広聴課 利用規程に基づき北摂アーカイブより転載)

豊中市の北部、東豊中の奥にある島熊山は、豊島丘陵から千里丘陵にかけての最高地点である。

玉かつま 島熊山の夕暮れに ひとりか君が 山道越ゆらむ 

                    (万葉集 巻十二 3193)

万葉集にも歌われた山で、“玉かつま”というのは島熊山の枕詞だという。

島熊山には子どものころから何十回も登っている。昭和40年代の頂上付近は西側が赤土の崖になっていて、崖っぷちに『島熊山の一本松』と呼ばれていた松の木があった。
松のところに佇めば、パラボラアンテナが2つ並んだ六甲山が遠くに望め、甲山のある阪神間から大阪市内、大阪湾が一望できた。天気の良い日には、葛城山や淡路島も見えた。島熊山からの眺望は小学校で習った「♪六甲はるか野は広く 大大阪にほとりして~」という『豊中市歌』の歌詞にうたわれているとおりだった。

現在は住宅群やマンションが稜線直下にまで建ち並んでいて、山頂付近も西側がだいぶ削りとられてしまい、かつて一本松のあった場所を特定することすら難しい。

島熊山周辺の住宅地開発

東豊中の住宅地開発は、戦前の昭和初期に阪急電車によってはじめられた。いっぽう東豊中の奥に位置する島熊山周辺の住宅地開発は、昭和30年代の終わりに豊中駅前にあった牧野組によってすすめられた。
東豊中は緑豊かな別荘地の趣のあるいわゆるお屋敷町であったが、島熊山周辺は造成地に一戸建ての並んだ郊外の住宅地である。最初に住宅が建ちはじめたのは西南麓で、現在の住所でいうと緑丘2丁目あたりの数ブロックだった。

島熊山【昭和42-46】昭和40~45年ごろの島熊山付近
国土地理院2万5千分の1地形図 伊丹【昭和46年修正測量】・吹田【昭和42年改測】、左側のA地点は北摂アーカイブの写真が撮影された場所

この地形図は2枚を張り合わせたもので、東側と西側で測量年が少しずれるているが、開発されつつある昭和40~45年頃の島熊山付近の様子がみてとれる。島熊山で牧野組による住宅開発がはじまったのと同じころ、千里ニュータウンや新御堂筋などの主要道路の建設工事も進められていた。

島熊山の開発当初、阪急バスは三ツ池の少し先の東豊中までしか入っていなかった。
そのころ島熊山に行くには、終点の東豊中バス停から深谷池の横の曲がりくねった坂道を歩くか、牧野組が運行していたマイクロバスに乗って行くかのどちらかだった。

牧野組のマイクロバスは、東豊中団地前が起点で、東豊中のバス停を経由して今のバス路線と同じ道を走っていた。まだ食料品店もなく、足の不便な分譲地に引っ越してきた住民の便宜を図るために運行されていたのだと思う。

小3から小4の頃、月に何回か牧野組のマイクロバスに乗って、島熊山にあったA先生のご自宅に水彩画を習いに通っていた。終点はいまの島熊山バス停と同じ場所で、バス停の前にたしか「紫苑」という名の喫茶店があった。
夏の夕方、島熊山から降りる帰りのバスを待っていたら、急にすごい雷雨になった。あたりは坂道ばかりで、すべての道が川のようになった。そのときは喫茶店のなかに入れてもらって、稲光をみながら雨宿りをしたことを覚えている。

島熊山【明治42】

明治末期の島熊山付近
陸測2万正式図 池田【明治42年修正】、赤の▲は稜線上のピーク

明治42年に測量された地形図をみると、このあたりで最も標高の高い地点は北側にある標高131.7メートルの小ピークである。しかし、そこには山名の記載はなく、現在、不動尊のあるあたりに標高値不詳の小さなピークがある。さらに南側に112.3メートルの標高点があり島熊山の名が記されている。
のちに不動尊の東南にある115.8メートルのピークに三角点が置かれた。三角点の「点名」は「島熊山」と名付けられた。点名は必ずしも山名を示すものではないが、このような経緯からこの三角点の置かれたピークを島熊山と呼ぶ人もいるようである。
しかし、三角点の置かれた不動尊東南のピークはこの付近の最高地点ではなく、不動尊よりも数百メートル北側に位置する一本松のあった131.7メートルのピークがこのあたりで一番高い場所だった。三角点は三角測量のための基準点であり、山の最高地点を示すものではない。

牧野組による開発のあと、東側に千里ニュータウンができたり、北西側の山麓が開発されたりして、島熊山周辺はずいぶん変わった。
元のままで残ったのは、ニュータウンの外縁部を囲む細長い緑地だけになった。その緑地も一時、大阪府が開発して防災用のヘリポートを設置する計画を立てていたという。当然のことながら住民の反対運動がおこり、結局、緑地は大阪府から豊中市に譲渡されて、島熊山緑地として保全されるようになった。

このような経過を経てかろうじて緑地は残った。しかし、肝心の一本松の立つ風景と山頂に登った誰もが楽しめたあの雄大な眺めはなくなった。
『景観』だとか『ランドマーク』といった言葉がまだ市民権を得てない時代の話であるが、景観行政のお粗末さを表徴するような結果となった。
大阪弁で手短に言えば、「刺身の『ツマ』だけ残してどうすんねん!」ということである。

本論考の再公開に至った経緯

島熊山の山名と位置に関する4編の論考は、2012年1月に旧ブログで公開したが、2016年3月に旧ブログを閉鎖し公開を取り止めた。
この度、再公開に至った経緯を以下に記しておく。

(1)この島熊山の山名と位置について記した一連の論考は、以前、開設していた旧ブログ『My Maps』(http://mymaps.blog.fc2.com/:2011年開設、2016年に閉鎖)に2012年1月7日から1月18日にかけて、4回に分けて掲載したものである。

(2)本論考を旧ブログで初めて公開した年月日は次のとおりである。
公開時、各ページには「Copyright, 著作者のハンドル名, 2012.All Rights Reserved.」を表示している。
・島熊山の一本松 【初出:2012/01/07】記事のエントリー№41
・島熊山の山名と位置について(1)【初出:2012/01/10】エントリー№65
・島熊山の山名と位置について(2)【初出:2012/01/15】エントリー№66
・島熊山の山名と位置について(3)【初出:2012/01/18】エントリー№67

(3)公開して約2年半が経過した2014年7月、ネットを検索していて、本論考の構成や論旨が同一で、参考文献を含めて記事内容がきわめて酷似したブログを発見した。文章の過半は剽窃たものであり、地形図に手を加えて掲げていた図版3点も無断転載されていた。要するに、構成も文章も図版(画像)も盗用している不法行為である。

(4)その剽窃ブログの記事は、“boubou”と名乗る作者が「島熊山一帯住宅開発小記…。」と題して、2013年6月1日に公開したものであった。剽窃を発見した当時、当方の著作物には「ブログからお借りしました」という一言が添えられているだけであり、具体的な出所等は一切記されていなかった。
・当該ブログ https://blogs.yahoo.co.jp/wdwwq181/55605399.html

(5)発見後ただちに剽窃ブログの作者である“boubou”には、コメント欄を通じて知的財産を侵害した剽窃行為であることを通知した。あわせて著作権を侵害しないこと、著作物の引用や転載に際しては著作権法の定めや社会通念上のルールに従う必要があり、善処するよう申し入れを行なった。常識的な大人ならば、剽窃行為を謝罪し、剽窃した文章と図版の画像が削除されるものと期待していた。

(6)しかしながら剽窃者は不法行為を改めなかった。著作権を保有する当方は、剽窃者“boubou”に著作物を貸した覚えはないし、転載を許諾したこともない。
おまけに、引用時には引用の要件を満たし、出所を明記するのがルールであるという当方の指摘に対して、「お借りしたもののURLがわからない」と言う。自分で盗っておいてどこから盗ったのかわからないとは、盗人猛々しいとはこのことである。

(7)コメント欄での数回のやりとりを経て当方の著作物を掲載していた旧ブログのURLを伝え、ようやく剽窃ブログに図版の出典が記載されたが、出典を記載しただけでは著作権法32条に定められた引用の要件を満たすものではない。

(8)剽窃者のブログの前半部には、郷土史家の鹿島友治氏の著作『豊中 ありし日の景観』から引用したと記された箇所がある。文字量にして15行、約600字ほどである。約600字を「引用」とみなすには社会通念上いささか文字量が多すぎる。百歩、いや一万歩譲って仮に「引用」とみなすとしても、「引用文」に対する「主体となる文」が質・量ともに脆弱である。さらに、前後の文との主従関係、引用を行なう必然性、引用が目的に合致した正当な範囲であるかといった著作権法32条に規定された引用の要件を欠いている。

(9)鹿島氏の著作を「引用」したように記された文章にはその前段に出典が示されていて一見、引用のルールにしたがっているようにみえる。しかし、じつはこの「引用」した文章は、鹿島氏の原著を引用したものではない。
なぜなら、鹿島氏の著作は漢文調の文体であり、「引用」した文とは文体が異なる。「引用」した文は、鹿島氏の著作を当方が現代文に翻訳(要約)した文章そのものだからである。
本当は別の翻訳文を「剽窃」しているのに、鹿島氏の著書を「引用」したように偽装して自分のブログに無断転載しているわけである。一言一句そのままで、正しい出所が記されていないので全文が「盗用」である。

島熊山_剽窃箇所-

「島熊山一帯住宅開発小記…。」 https://blogs.yahoo.co.jp/wdwwq181/55605399.html
鹿島氏の著作を「引用」したように偽装して当方の著作物を「剽窃」している箇所

(10)権利侵害をしたブログには以上のことには一言もふれられてない。しかし、(A)鹿島氏の原著(B)当方が原著を現代文に翻訳した文章、(C)剽窃者が引用したとする剽窃文(前半を上に掲載)、この3つを比べてみれば一目瞭然である。(A)と(B)は文体や文言が異なり、(B)と(C)は一言違わず一致する。以上のことから、剽窃者は鹿島氏の原著に直接あたっていないことは明らかである。剽窃者自ら墓穴を掘ったわけである。

(11)この論考は小論ではあるが、労力と費用をかけて文献を捜し、旧版地形図を入手・加工して図版化し、現地調査や論考を重ねて作成したものである。盗人に成果を横取りされて、はなはだ気分が悪い。不本意ではあったが2016年3月にブログを閉鎖し、一連の論考をネットから削除した。

(12)今回調べてみれば、剽窃したブログは2018年6月現在もネット上で公開されており、検索の上位にヒットする。現状のままでは不法行為を是認し、盗人に屈したことにもなりかねない。
あまりに腹立たしいので、この度、加筆修正したものを再度公開することにした。なお、再公開に際して、タイトルや本文の一部を手直ししている。

以上が、初出から剽窃行為の確認と抗議、旧ブログの閉鎖、今回の再公開に至るまでの経緯である。


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