城下図に描かれた昔のまち・ひと・かわ 犀川(3)

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■ 犀川と人々の暮らし

■川魚漁のようす

鵜縄やゴリオシを使った川魚漁のようす(第二扇の部分)
写真提供:石川県立歴史博物館

 江戸時代後期の犀川と人々の暮らしについて、石川県立歴史博物館発行の資料を参照しながら、上流から順にみていくことにしよう。

第二扇に描かれているのは、現在の大工町から十三間町のあたりと思われる。河畔に小さな木立があり、砂州ができた流れのなかには、投げ網を打とうとしている菅笠を被った漁師らしき人がいる。傍らにいる褌姿の男は、鵜縄(うなわ)を引いて下流から魚を追ってきた相棒である。この鵜縄というのは、縄に鵜や鳥の羽などをつけて、魚を脅かしながら追いこむための漁具である。
少し下流には、金沢名物の鮴(ごり)漁をしている4人の人物がみえる。小石をのせた筵を川底に敷き、二手に分かれて「ゴリオシ」や「ブッタイ」と呼ばれる漁具を使いながら、追い込んだ鮴が小石にかくれたところを筵ごと引き上げようとしているようだ。

近くの堤防の上には、反物が3本ひろげられ、洗い張りをしている町人が描かれている。

■川普請のようす

河原町付近の犀川と町人まち(第三扇の部分)
写真提供:石川県立歴史博物館

蛇籠をつかった川普請(第三扇の部分)
写真提供:石川県立歴史博物館

 続く第三扇には、北国街道の一筋東にある河原町付近が描かれている。このあたりは、傘屋や八百屋、豆腐屋などが軒を連ねるまちの商店街である。
ちょっと意外なことは、川と隣接した町家との境界が一連の板塀で区切られており、まちと川とを自由に行き来できないようになっていることである。江戸時代、城下はたびたび洪水の被害を受けているが、この板塀は水位が堤防をこえても、水がまちに流れ込むのを防ぐために設けられたのかもしれない。

いっぽう川のほうに目を転じると、澪筋は岸近くに寄っており、川岸は人の頭より少し大きな石で護岸が施されている。ちょうど河川工事が行われており、堤防には4人の武士が何やら相談をしながら、工事の指図をしているようである。流れのなかには、褌一丁になって蛇籠をすえつけている8人の人夫たちがみえる。

蛇籠というのは、割竹や柳などで編んだ太さ約50センチ、長さ2~3メートル程の細長い籠で、籠のなかに重りとなる石を詰めて使う。紀元前に中国で考案され、わが国には4世紀から7世紀ころに伝わったといわれている。描かれているのは、強い水流を受ける護岸の根元が洗われて流失しないよう、蛇籠を護岸の先端に置いているようすである。

工事のようすをもう少し細かく見ると、岸には蛇籠に詰める石が積まれた舟が2艘浮かんでいる。空の蛇籠を抱きかかえて置こうとしている人、舟から石を手渡す人、蛇籠に石を詰める人、丸太杭を打つ人など、工事の様子がいきいきと描かれている。堤防にいる武士の右側には監督小屋が設けられ、その横には休憩や作業の合図をしているのか?、拍子木を打つ男の姿もみえる。さらに左側の階段の横には、まだ石が詰められていない空の蛇籠が3本ほど準備されている。

階段の上には凧揚げに興じる子供がいるが、工事現場との間には関係者以外の立入り禁止のためか、現在の安全柵に相当する張り綱のようなものが描かれている。

■犀川大橋界隈

犀川大橋界隈の賑わいと友禅流し(第四扇の部分)
写真提供:石川県立歴史博物館

 第四扇には、北国街道が犀川を渡る犀川大橋の橋上の賑わいが描かれている。一時、狩野派の門に学んだ江戸後期の絵師、円山応挙の眼鏡絵に描かれた京都の三条大橋もよく似た雰囲気である。

橋のすぐ上流の流れのなかでは、追い手と待ち手の二組に分かれ、仕掛網で漁をする4人の漁師たちがいる。また、金沢の伝統産業である友禅流しの光景もみられ、すぐ近くの河原の中州で弁当を食べる人々もいる。

■斜め堰からの釣り・筏による木材運搬

蛇籠を並べた斜め堰と筏師たち(第五扇の部分)
写真提供:石川県立歴史博物館

 犀川大橋の下流には、大野庄用水の取り入れ口が現存しており、第五扇にはこの付近のようすが描かれている。
川のなかに並べられているのは蛇籠を使った斜め堰で、用水を取り入れるために設けられたものである。斜め堰の右端には、蛇籠のうえに立って釣りをする数人の釣人がいる。

城下図に描かれた人物は、着衣など身分の違いが厳密に描き分けられている。加賀藩では町民階級が川漁や川遊びをするのを禁じた時期があるので、菅笠姿の釣師たちは武士かもしれない。また、武士に対しても、禁漁期が設けられるなど魚の殺生を規制するお触れが数度にわたってだされている。なお、鮎釣りなどに使われた毛鉤は「加賀張鉤」と呼ばれ、当時は武士階級の内職によってつくられたもので、現在でも土佐鉤と並ぶ名品とされている。

堰の下流には、木材が筏に組まれ城下の大工町に運ばれるようすが描かれている。竹竿を手にした2人の筏師が筏を操り、中州から綱を渡して他の4人が筏を引っ張りあげている。大工町で加工される木材は、他所から日本海沿岸の宮腰の湊まで船で輸送され、宮腰からは筏を組んで犀川をさかのぼって城下へ運ばれた。

【次は】 城下図に描かれた昔のまち・ひと・かわ 犀川(4)


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