■takaginotamago 支配人兼雑用係
A dog resembles his owner?
Yes, may be!
- 出た処:19*4年、大阪市生まれ。まぁ、いわゆる大阪のおっさんです。
- 住み処:これまでに大阪と京都で暮らし、現在は島流しの刑で地方都市に潜伏中。
- 仕 事:時間と金の不自由業、「へえー、そんな仕事があるの?」という仕事をしてます。老犬2匹の世話係をしていましたが、15歳と17歳で2匹とも他界し失業。いまは2歳の元保護犬の散歩係とあんま係見習い中です。
- 好きなもの(こと):自由、お好み焼き、ソースなしのたこ焼、自転車に乗ること
- 嫌いなもの(こと):資格、肩書き、ぐずい人、人の真似、ウェブサイトから著作物を泥棒するサル野郎
■takaginotamago について
雑用係の祖父Dennosukeは、大正から昭和のなかごろまでの大大阪のころ、あらたに大阪市となった地域で養鶏とタマゴの販売業を営んでいました。「takaginotamago」はそのブランド名です。
聞くところによれば、変わり者だったようですが商才には長けていたようです。地面で放し飼いにした地鶏に良質な餌を与え、生ませたタマゴを丁寧に磨いてひとつひとつに「takaginotamago 特撰品」と記されたブランドのラベルを貼って、プレミアム価格で販売していたそうです。
タマゴは、ウクライナで戦争がはじまったごく最近を除いて「物価の優等生」と言われてきました。値段が安定していて、しかも安いからです。少し前までなら、普通のタマゴはLサイズでも1個数十円。10個入りのパックを半額で売ったとしても、スーパーの客寄せパンダにはなれません。
しかし、祖父の時代は、普通のタマゴですらたいへんな高級品だったようです。大切なタマゴが割れないよう紙箱に籾殻を詰めて、おもに贈答品として使われたそうです。
祖父には息子が6人いましたが全員に運転免許を取得させ、タマゴで儲けたお金でクルマやオートバイ(当時はすべて外国製でした)を買いあたえて一緒に遊び回っていた道楽もんでした。
昭和30年代なかばにタマゴの価格が暴落し、それと前後して廃業しました。逃げ足は速かったのかもしれません。
今回、WEBサイトを立ち上げるに際して、約半世紀ぶりにブランドを復活させた次第です。祖父の商才にあやかって、このサイトが「金のタマゴ」でも生んでくれればいいのですが・・・・・・
まあ世の中そんなに甘くないでしょう。ネットを通じて楽しくやっていければと思っております。
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