猪名川の流れ橋

流れ橋とは

流れ橋を渡る

川の向こう岸に行かねばならない用があって、どうしても川を渡らねばならない人の知恵が「橋」を生みだしました。
橋の形や構造・規模は、利用できる材料や架橋された時代の技術水準、川の大きさ、地域や文化、さらに為政者の政策などに応じてさまざまです。

日本のように木を身近に入手できるところでは、木をつかった橋が架けられます。その最もプリミティブな形は、川の両岸に丸太や流木を一本あるいは数本架け渡しただけの丸木橋でしょう。
川幅が大きくなれば、川の中に転がっている岩を利用したり、木杭を打って中間部に橋脚を設けたりして、そのうえに丸太や橋板を連ねて川を渡りました。

なかには「舟橋」といって、舟を何艘も浮かべて橋脚替わりにしたものもありました。普段われわれが目にするような鉄やコンクリートを用いて、大水の勢いにも耐えるように強固につくられた橋、いわゆる「永久橋」と総称される橋が一般化したのは、明治時代以降のことです。それまでの橋は、大水のたびに流されるもの、といっても過言ではありません。

「流れ橋」、あるいは地域によっては橋板として板材が用いられることから単に「板橋」とも呼ばれる橋は、素朴で橋の古形を色濃く残した橋です。流れ橋という呼び名は、大水のたびに橋が流れることに由来しています。英語ではどう表現するのかと思い、試しにGoogleで自動翻訳してみると、“Drift bridge”とか“Flow Bridge”という答えがかえってきました。
The Bandの往年の名曲に“Acadian Driftwood”という曲があります。Driftwood というのは、河原や海岸でよく目にするのでイメージしやすいですが、それにくらべると“Drift bridge”では、ちょっとイメージが・・・・・・? という感じです。

しかし、流れ橋というのは、本当は『流れる』のではなくて、『流される』ことを前提につくられているのです。けれども、指をくわえて流されていく橋を眺めているのではありません。流された時に備えて、橋にはちゃんと仕掛けが施してあるのです。

普段の流れ橋ある川に架けられた流れ橋の普段の様子
川のなかにある大きな岩を橋脚の代わりにして橋板が架けられており
4枚の橋板は2組に分けられてロープで岸に結ばれている
大木津の流れ橋【小出水】少し水が出た時に中央部の橋板が流された状態
川のなかにある大きな岩を橋脚の代わりにして橋板が架けられており
4枚の橋板のうち低い位置に架けられた中央部の橋板が流された
大水が出たときの流れ橋大水が出たときの流れ橋の様子
これくらいの大水がでると4枚の橋板はすべて流されてしまう
流された橋板はここでは左右2組に分かれ、
ロープに掴まるようにして両岸の岸近くに浮いている

木でできた橋板は、水位が橋板まで上昇すると水面に浮かびます。そして流れの勢いに押されて橋台や橋脚から外れ、下流へと向かって流れ出します。しかし、流れ橋の橋板はロープで岸と結ばれていますので、ロープが切れない限り、ずっと下流まで流れ下ってしまうことはありません。

1989年9月の水位記録大水が出たときの水位変化 猪名川・小戸観測所【1989年9月】
(資料:国土交通省 水文水質データベース)

日本の川の場合、大水のほとんどは出水のピークを中心として数日以内に収まります。
利根川や淀川クラスの大河川でも、ヨーロッパの大河のように何十日にもわたって増水がつづくことは、通常、まずありません。流れ橋が架けられるような流域面積の小さい川だと、半日で増水しますが、1~2日で水が引くこともよくあります。

ですから、橋板が流されている数日間は川を渡れなくなりますが、水が引いた頃合いを見計らって、流された橋板のロープを手繰り寄せて元どおりに組み立てれば、流れ橋の復旧作業は完了です。

流れ橋は、橋の規模や車の通行などにおいていくつかの制約があるものの、大水に逆らわず、自ら一時的に分解することによって流れの力を受け流すといった発想の橋です。しかも、単純な構造であるがゆえに復旧も容易です。

有名ではあるが異端にして異質な『流れ橋』

木津川の流れ橋『流れ橋』として有名な木津川の上津屋橋【1995年 撮影】
橋板が流されても予算がないと復旧作業にかかれません
その間、長期にわたって橋を利用できなくなります

流れ橋の多くは、名もなき小さな橋がばかりですが、その特異な存在感によってなかば観光地化され、多くの人に知られている橋があります。
それは、京都の南を流れる木津川に架かる上津屋橋(こうづやばし)です。
この橋は地元では単に『流れ橋』と呼ばれており、流れ橋としては珍しく長さが約350mもあることや、時代劇などのロケによく使われることがこの橋の知名度を高めています。

しかし、このような長大な流れ橋の場合は、橋桁が流された時の復旧も人力のみでというわけにはいきません。アームの長いバックホーやパワーショベルなどの大型の建設機械が何台も駆り出されて、さながら永久橋を新築する工事現場のような光景が展開されます。
流された橋板を元の髙い位置に戻すためにかかる復旧費用は、素朴さと身軽さを身上とする流れ橋としては、やはり異質であり、異端の存在です。

この上津屋橋は、れっきとした道路施設のひとつとして京都府によって維持管理されています。流された時に備えて、復旧費用はある程度予算化されている模様で、公的資金の投入がなければとうてい維持することができません。
近年の気象変動の影響を受けて木津川の出水頻度が高くなると、橋板が流されたり損傷したりする頻度も高まります。
最近では、初夏から秋にかけての出水期に2回以上流される事態も生じています。流されるたびに復旧には多大な費用がかかり、ときには数百万円を超えてしまうので維持管理上、問題視されています。

そのような意味で、このコストのかかる『流れ橋』を「流れ橋」だとは思っていません。

時代に流された多田院の流れ橋

多田院の流れ橋多田院の流れ橋 【2000年 撮影】
夕餉をまえに地区の人が橋を渡って対岸にある畑に野菜を取りに来た

ここでは前半部に、このウェブサイトの前身にあたる旧サイト『暮らしのある川の風景』の『川で見つけたもの』なかで、2000年10月に公開した「61.多田院の流れ橋」を再掲します。なお、再掲に際して少し加筆しており、また、後半部はその後の変化などについて書き加えています。
https://takaginotamago.com/kawade/kawademithuketa061/

この「多田院の流れ橋」は猪名川の中流域に位置する多田院地区で、2010年ごろまで架けられていた流れ橋です。川の東側に立地する多田院集落の方々が、毎日、猪名川の対岸の段丘面にある畑などの農地へ行き来するための最短ルートとして使われていました。
なお、「多田院の流れ橋」という名は、自分が全国各地で見つけた流れ橋を整理する上で便宜上つけた呼び名です。地元の方々は少し違う名前で呼んでいたように記憶しています。

猪名川は、北摂の里山の山あいを縫って流れ下り、池田で大阪平野の北西部へと流れでます。現在では流域の住宅地化がすすみ、中~上流域の丘陵地にもニュータウンの家々が建ち並んでいます。

猪名川の中流域に位置する多田院の集落は、ニュータウンに取り囲まれた古くからのムラです。すぐ近くには清和源氏にゆかりのある多田神社があります。
川の東岸を通っている狭い旧街道に沿って家々が軒をつらねており、田んぼや畑は、川を隔てた対岸の河岸段丘にあります。
近くにある永久橋は、下流側の多田神社の正面にある橋と上流側の多田大橋です。ちょっとした畑仕事でも。どちらかの橋まで大きく迂回する経路で行かねばなりません。直線距離で200mほど先の畑に行くのに、橋まで回ると約4~5倍の距離を歩かねばなりません。

そんなわけで街道沿いに細長い集落を構成する上・中・下の三つの集落は、それぞれの集落近くに自前の流れ橋橋をもっていました。真ん中の橋は、いつぞやの洪水の時に橋脚まで流されてしまい、それっきりになってしまいましたが、上の橋と下の橋のふたつの流れ橋は、橋板や橋脚の修繕をかさねながら、大切に使われてきました。

多田院の流れ橋畑で収穫した野菜を籠に入れ橋を渡って家へ向う【2000年 撮影】

朝、橋を渡って田や畑に出かけ、農作業をして昼時になるとごはんを食べに家に戻る。晩ご飯のおかずにする野菜が必要な時は、夕方、川を渡ってちょいと畑まで取りにでかける。
そんな感じでふたつの流れ橋は、地区の人たちによく利用されてきました。

多田院の流れ橋近くの飼い犬も慣れた足取りで渡っていく 【2000年 撮影】

多田院の家で飼われている柴のワン君も、朝夕の散歩で対岸にある畑のほうにでかけます。
「小さいときから渡っているから平気だよ」と話すおじさんを従えて、柴犬はユラユラ揺れる橋板をすたこらさっさっと渡っていきました。

この上の橋に使われていた木製の橋脚は、地区のIさんの手になるものです。Iさんは大工さんで、ご自宅を訪ねて話を伺いますと、材には水に強い桧でつかっていると話しておられました。


長年にわたって地元の人々に使われてきて、猪名川の風景にも溶け込んでいた多田院の流れ橋ですが、何年か前に県の河川改修が行なわれ、その前後に撤去されたようです。

様変わりした多田院の水辺真っ白な護岸が整備された多田院の水辺 【2017年撮影】

2017年、能勢に行ったおり再訪してみると、多田院の水辺は一変していました。

集落のある左岸側にはパラペット(特殊堤)のついたコンクリート護岸がつくられています。できたばかりの真っ白な護岸は壮観ではありますが、これをつくった土木技術者の美的センスを疑いたくもなります。多田院の水辺の周辺環境や横断構成は県内を流れている作用川の平福と似ていますが、長大なコンクリート構造物の色相や明度からくる突出感がいけません。
また、ところどころに階段が設けられていて、ちゃんと手すりも付けられていますが、勾配があまりに急過ぎます。この階段では、水辺へ降りるのに恐怖感すら覚えます。

多田院の流れ橋跡上の流れ橋のあった跡 【2017年 撮影】
広角レンズで撮っているので階段はゆるやかに見えます
踏面も狭く、実際の勾配はもっと急です

流れのなかには橋板を支えていたコンクリートの台がいくつか残っていましたが、流れ橋があった当時の猪名川ののどかな面影はもうどこにもありませんでした。

その後の様子をGoogle Mapsでみると、2019年12月現在、右岸にあった農地は、その一部が施設用地に転用されていて、賑やかな外観の郊外型パチンコ店やカラオケ屋ができていました。

猪名川上流で見つけた流れ橋

北田原の流れ橋渓流釣り場の近くにかかる北田原の流れ橋 【2017年撮影】
太公望が釣果やポイントを求めてこの橋を渡る

仕事の合間を利用して、主に西日本を対象に流れ橋の探索をはじめて、もうかなりの年月が過ぎました。事情があって途中で中断した時期もありますが、流れ橋はなかなか見つけにくいものです。所在地が地形図に載っている訳でもなく、流れ橋を網羅的に紹介したネット情報や書籍類も多くはないからです。

経験的に言えば、流れ橋は、目立たないでひっそりと存在するモノですが、「有るところには有る」ということが言えます。
なぜかと言うと、流れ橋というものは、川とその地域の人々との関係において成立する川の文化のひとつであるからです。
文化というものは、広い狭いの幅はありますが、ある空間的な広がりのなかで普遍性をもっているものです。ですから、ある地域や流域のなかで、流れ橋がひとつでも見つかれば、近くにも流れ橋がある可能性はきわめて高いということが言えます。
実際には、勘と地形図をたよりに川に沿って移動して、現地を見ながら流れ橋をさがすわけです。

猪名川には、多田院に複数の流れ橋がありましたので、中流域や上流域の他の場所にもあるだろうと踏んで、自転車にのって流れ橋を捜しにでかけました。

その時にみつけたのが、ここで紹介する「北田原の流れ橋」です。多田院と同様に名前は整理のために便宜上つけたものです。

多田院から猪名川沿いを北上していくと猪名川町に入ります。役場のある広根を過ぎ、紫合(ゆうだ)という集落を過ぎると、屏風岩の手前に北田原という集落があります。
流れ橋は、北田原の集落の少し南にある鱒釣り場の近くにありました。

北田原の鱒釣り場猪名川に設けられた北田原の鱒釣り場

鱒釣り場は、猪名川の流れに石を並べていくつかの小さなブロックに区切ったもので、渓流釣り場と言うよりも、川を利用した釣り堀といった感じの場所です。県道が横を通っていて足場が便利なので、休日に鱒釣りを楽しむレジャの人たちで賑わっているようです。

事務所の建物と流れ橋鱒釣り場の事務所の建物と流れ橋

流れ橋は、事務所のプレハブの建物の近くにあり、コンクリートでできた橋脚の上に、ワイヤーロープが結ばれた橋板が置かれています。岩や木製の橋脚を使った手作り感のあった多田院の流れ橋に比べると、人工的な工作物の感が強まりますが、橋脚も橋板もいたってシンプルな形です。

コンクリート製の橋脚コンクリートでできた橋脚とロープのついた橋板

コンクリート製の橋脚は、農業用の小さな堰でよく見受けられるような形で、上からみると野球のホームベースに似た形です。経年変化したコンクリートの風合いなどからみて、つくられてから30~40年ぐらい経っていると思います。

流れ橋を渡る家族連れ県道のある左岸に向って流れ橋を渡る家族連れ 【2017年撮影】

橋のところでしばらく様子をみていると、お孫さんの手を引いた家族連れも渡っていきました。この橋を利用しているのは、釣り場を訪れたレシャー客だけでなく、右岸にある川西集落の数軒の民家の人たちも県道にでるのに使っているようです。
姿を消してしまった多田院の流れ橋とは異なり、まだしばらくは現役で活躍しそうなように見受けられました。

池田床固の流れ橋

池田床固池田床固と飛び石のようなモノ 【2017年撮影】

猪名川の流れ橋のしんがりを務めるのは、2017年7月に池田床固の左岸で見つけた小さな板橋です。

池田床固は、阪急宝塚線の猪名川橋梁の少し下流にある河川管理施設です。床固の役割や池田床固の概要については、この猪名川シリーズのこのページに書いてあります。

ひと昔まえまでの池田床固は、大きなコンクリートブロックを敷並べた古い施設で、ブロックの一部が大水に流されたりしてずいぶん荒れた状態になっていましたが、何年かまえに写真のような新しい床固工に全面改築されました。

新しくできた床固は、普段、水位が下がっているとコンクリートの一部が水面上に露出します。水面から頭をだした部分は「飛び石」のようにも見えますが、河川を管理する立場からすると飛び石ではないようです。
チェーンにぶら下げられた黄色い看板には、次のような注意書きが記されています。
「これは河川管理施設ですので渡らないでください。一般の方の通行は禁止します。」

目の前に対岸に渡れるような飛び石のようなモノがあって、「渡らないで」と書かれると、なんとなく「渡りたく」もなりますが、川のことをよく知らない人は書かれているとおり「渡らない」方が身のためです

なぜなら、川の流れの速さは目で見たよりも速く、床固工の下流側の河床は浸食を受けて深くなっています。水位や流れの速さにもよりますが、もし、転倒して流されると手遅れになります。
立ち入り規制のチェーンや「渡らないで」と書かれている注意喚起の看板は、そういう川の危険をよく知っている河川管理者の親心から設置されたのでしょう。親心のついでに、事故が起きたときに備えて救助用にロープのついた浮き輪を設置しておくと役に立つかもしれません。

飛び石に渡る板橋河岸から飛び石に渡るための板橋 【2017年7月 撮影】
この日は出水のあとだったので橋板が流されていた

こちらは低水路に降りて左岸の水際から撮った様子です。
護岸にはハシゴが置かれていて河床に降りることができます。河岸の護岸の法先と飛び石のようなモノの一番端との間は少し離れています。その距離は、飛び移れそうで飛び移れない微妙な距離にです。そして、護岸と飛び石のようなモノとの間に板を渡して渡れるようにしつられています。その板の一端は、ロープで岸に結ばれています。
これが池田床固のところにあった流れ橋(板橋)です。

水位が高くなって、飛び石のようなモノを伝って渡るのが危険な状態になると、入口の板橋は写真のように流れてしまいます。川の危険度が高くなると、渡河をできないようなシステムになっています。シンプルですが、よく考えられたリスクマネージメントの手法だと思います。

この場所で対岸に渡りたい場合、最寄の橋は呉服橋ですので、堤防沿いにぐるっと回ると約1㎞あります。いっぽう、仮に、床固の飛び石のようなモノを使えば僅か100m。歩く距離は10分の1で済みます。

この池田床固付近に対岸に渡ることのできる歩行者系の動線を設ければ、かなり便利になります。ニーズがあるのは、改築前には不安定なブロックだった古い床固を多くの地元の人が自己責任で利用していたことからみても明らかです。
新築された床固の飛び石のようなモノを利用するために置かれた護岸のハシゴや飛び石に渡るための流れ橋(板橋)は、たぶん非公式なモノですが、地元の誰かが良かれと思って置いたのでしょう。

あとは、上に書いた看板に書いてあったことと関係しますが、流れる水が存在する限り、川には危険が内在しています。危険を回避したり排除するための知識や措置も必要ですが、水難事故が起きたときに誰が責任を負うかということを明確にし、そのことを河川管理者と利用者、つまり流域社会が共通認識としておくことが重要です。そうすれば、せっかくつくった飛び石のようなモノも「飛び石」として活かされて、猪名川に伝わる川の文化であった流れ橋も実際に利用できる板橋として再現でき、もっといい猪名川になると思います。

渡河路の整備イメージ床固を利用した飛び石の整備イメージ【1993年 作画】
水難事故に備えて救助救命用の浮き輪を設置する案を描いていた

責任逃れのために何でも禁止したり、自己責任を負うべきケースなのに管理者責任を追及するような発想や風潮はそろそろ改めるべきでしょう。30年ほどまえになりますが、池田床固の改築にあわせて、水位の低い普段の渡河路として利用できる飛び石の設置を提案した者として申し上げておきます。


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