猪名川に大型空母出現!
このシリーズに掲げている猪名川の写真を撮り始めたのは、1991年の夏からです。
そのきっかけとなったのは、東京からかかってきた1本の電話でした。仕事がらみの話ですので詳細は省きますが、猪名川の水辺空間整備に関する仕事を手伝ってもらえないかという内容でした。関係機関や地元との間でいろいろな問題が生じて、膠着状態に陥っているとのことでした。
ちょうどその年の春に、事務所を京都から大阪に移し、自宅も猪名川流域の箕面市に引っ越したばかりでした。猪名川は小さいころから知っていますし、家から猪名川へは自転車で10分か15分ほどです。願ってもない話です。渡りに舟ということで二つ返事で引き受けました。その後、何年かつづくことになった猪名川での仕事を始めるきっかけになりました。
大阪をしばらく離れていたので、盆休みの8月14日、猪名川を休みの間に見ておこうと思い、自転車に乗って出かけました。1991年といえば、ちょうどMTBが流行りだして数年経ち、大ブレイクした年です。砂利道や不整地も走れるMTBは川の調査に使えるので4年ほどまえに1号機のMTBを試作し、調査用車両として前年の暮に新しく2号機をつくったばかりでした。河川敷での使用を念頭に置き、俗に2割勾配と呼ばれる堤防の土手を斜めに登ったり降りたりできるような仕様にしました。
家から旧西国街道と能勢街道を通って池田に行き、呉服橋を渡ってから右岸の堤防沿いに下っていきました。阪急の高架をくぐり池田床固を過ぎて、猪名川が川幅を広げながら大きくカーブするあたりの川の中に、これまで見たこともないシルエットの大きな工作物がつくられていました。

グラウンドのある左岸の高水敷や低水路の中に3本の橋脚が建てられ、橋脚の上には2本の長い橋桁が置かれていました。
ちょうど上空には大阪空港を離陸して、上昇しながら左旋回に入ろうとしているボーイング747の姿が見えました。
ジェット旅客機は上昇中でジャンボの機体が小さく見え、空母に着陸しようとした戦闘機が何らかの理由で着陸を諦めて、再上昇しているようにも見えなくもありません。
鋼製の橋桁は、まだ下塗りの灰色でしたので軍用艦のイメージに重なったことや、橋のシルエットや上空を飛ぶ飛行機から航空母艦のように思えたのでした。

猪名川第1橋梁は、一般的な橋のように川に直交して架けられているのではなく、大きく湾曲している猪名川の河道に対して30°ぐらいの浅い交差角でかけられています。このとき出来上がっていたのは、4径間のうちの中央部2径間でした。
川幅が約250m以上ある川を斜め方向に渡ることになるうえ、右岸の川西市側で橋の端部もカーブしているので、両端ができて橋が完成するとかなり長い橋になりそうです。
このときは中央部2径間だけできて、残りの工事は中断しているように思えました。出水期には工事ができない河川特有の事情が関係しているのかもしれません。また、当時、沿線住民の人たちからは騒音などの住環境の悪化を懸念して、高架式の高速道路に対して建設反対の声が上がっていました。

猪名川に沿って高架橋梁で建設する阪神高速道路公団の計画に対して、地元住民の方からは地下式高速道路の検討案も提案されていました。地元との合意形成ができないいうちに工事を強行して住民を刺激したりしないよう、あるいは設計変更へ対応する場合に備えて工事を一時中断していたのかもしれません。
地元住民の方々が提案していた地下式の高速道路は、最近開通した大阪市内の2号淀川左岸線に採用されています。さまざまな事情があって川は埋立ててしまいましたが、正蓮寺川跡の地下を利用したものです。約30年前に川西で反対運動をされていた地元住民の方々は、ある意味、時代を先取りしていたのかもしれません。

その後、1994年春の段階では、下流側の1径間が完成して左岸側はほぼできあがりました。
いっぽう、右岸の川西側の1径間は、まだ橋脚の工事にも着手されていませんでした。呉服橋付近などでは次々に高架橋脚ができつつありましたので、第1橋梁付近の地元との調整が最終段階で難航していたのかもしれません。

完成した猪名川第1橋梁
その後、建設に反対する地域住民との意見調整が重ねられ、阪神高速道路池田線の延伸部は、1998年4月に開通しました。1982(昭和57)年度の事業計画の認可、都市計画事業の承認、建設着手から供用開始までには16年もの歳月が必要でした。
猪名川第1橋梁の上部工には、4径間が連続した鋼床版箱桁が採用されています。橋桁は鋼製ですので、塗装をして錆止めをしてやる必要があります。
猪名川第1橋梁は橋長が約500mもある長大な橋なので、下塗りと類似した灰色や錆色のままですと、日射条件や見る人の感性によっては威圧感を与えたり、不気味な印象を与えたりすることもあります。
通常、阪神高速のうち大阪市内周辺の路線の鋼橋の橋桁には、俗に「阪高色」と呼ばれる淡いグリーンの塗装が施されています。
いっぽう、完成した猪名川第1橋梁の橋桁は、阪高色のグリーンや隣接する高架区間のコンクリート橋梁と同じような灰色ではなく、淡いベージュ色に塗られていました。この猪名川第1橋梁の設置される猪名川や背景を構成する五月山など、周辺環境に調和した塗装色の検討が阪神高速道路公団で行なわれた結果だということです。

川西側の4径間目はR250で大きくカーブしており、桁下から五月山が望める
阪神高速道路公団から刊行された『技報』2号によれば、この色の選定に際しては、五月山や猪名川との調和に配慮して、「つつましやかな優しさ」を醸しだせるよう、土壁や白壁のイメージからこの淡いベージュ色が選定されたそうです。
猪名川に灰色の大型空母が出現したのは、建設工事が始まってから完成するまでのわずかな期間だけでした。
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