暴走族科のエセ・モトクロス
河川敷をはじめとした河川空間には、魚や鳥、昆虫など、さまざまな動植物が生息・生育しています。
そのなかには、レッドリストに載るような希少種もあれば、在来種、外来種もあります。最近では、とくに好ましからざる存在として「特定外来種」に指定されたものも増えつつあります。
ここで取り扱うのは、暴走族科の高速移動体生物とその発動機付二輪車「エセ・モトクロス」です。猪名川では、約30年前には多数確認されましたが、約20年前から減少傾向を見せ、現在ではほぼ絶滅したとみられています。
世間では、不整地を走行するオートバイや行為のことをぜんぶひっくるめて「モトクロス」という名前で呼んでいます。
本来、モトクロスはモータースポーツのひとつの競技種目の名前です。モトクロス競技は、競技用のモーターサイクルで不整地に設けられた外部とは隔離された専用のコースを周回して、順位を競うものです。
モトクロスの競技者および競技用の専用車両は、「モトクロッサー」と呼ばれています。
モトクロスはスポーツですので、競技規則があり、外部とは隔離された専用のコースで実施されます。
ここでは、モトクロスの競技者および競技団体に敬意を払い、河原でみられる類似行為については「モトクロス」と呼ばずに「モトクロスごっこ」とか「エセ・モトクロス」と呼んで、両者を区分することにします。
タイトルは、ちょっと筆が滑ったと言いますか、一種のキャッチコピーです(笑)
1997(平成9)年の河川法改正で、河川環境の適正な管理が河川法の目的となった現在では、エセ・モトクロスは河川環境への影響からみて、分類上は「特定外来種」に含めるべきと思われます。
特定外来種は、2004(平成16)年に制定された「外来生物法」(正式名称:特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律)に基づいて指定される害のある生物や植物のことです。
したがって、エセ・モトクロスは河川環境にとって好ましからざる存在ですが、このページで取り扱う1990年代には「外来生物法」がまだできていません。なので、タイムスリップして「特定外来種」に当てはめることができません。
したがって、当時の河川法の目的であった治水や利水機能に影響を及ぼさない限り、法的には排除することはできませんでした。エセ・モトクロスは、ほかのさまざまな河川利用と同じように、河川法で定められた河川の自由使用の原則に基づいて、その存在が容認されていたというわけです。
河原でモトクロスごっこをするとどうなるか

園田競馬場付近の左岸にて、親子で走るエセ・モトクロッサー
この写真は、1993年の2月に撮影したものです。
場所は、猪名川の下流で、千里川が合流している地点の少し上流側の左岸です。背後の堤内地には、伊丹市や豊中市のゴミ処理施設があるあたりです。
対岸には、園田競馬場の観覧スタンドの屋根が見えています。
2月の寒風吹きすさぶ河原で3人がモトクロスごっこに興じています。
前後に大人にはさまれた状態で真ん中を走っているのは、まだ小学生ぐらいの子どもです。ライムグリーンの専用のモトクロッサーを与えられているので、将来のプロライダーをめざして特訓を受けていたのかもしれません。
走っている場所は、低水路と呼ばれる場所で、河床に堆積した砂礫堆、つまり河原です。画像の左下を斜めに横切っている灰色の線は、低水護岸の天端を覆うコンクリートです。
写真からでも少しわかりますが、オフロード用のノブ(凸部)の高いタイヤを履いて、河原で全開走行すると、生育している植物はもちろん、表層の土壌も削られて裸地になります。
おまけにモトクロスごっこでは、同じコースを周回走行するので、コース内がエセ・モトクロッサーの重みで転圧をうけ、植物が自生しにくい条件となってしまいます。
その結果、河川敷がどうなるかを示したのが次の2枚の空中写真です。
場所は、上に掲げた園田競馬場付近と違いますが、同じ猪名川下流の箕面川合流点付近です。東側にある大阪空港の滑走路32Lの北西端のあたりです。

国土地理院撮影 【1979年 撮影】

国土地理院撮影 【1989年 撮影】
上は1979年の撮影で、ナスカの地上絵のようなものが描かれているのは、10年後の1989年の撮影です。
現在、モーターサイクルは若い世代からはそっぽを向かれています。休日に大型バイクに乗って国道などでツーリングを楽しんでいるのは、ヘルメットを脱ぐと白髪頭のええ歳したおっさんがほとんどです。
そんな高齢者や高齢者予備軍の世代が若かったころ、オートバイは若者に人気が高く、ホンダ・ヤマハ・カワサキ・スズキの4大メーカーが競い合うように、次々と新型車を発表していた時代がありました。
各社の車種展開も伝統的なオンロードバイクだけではなく、町中では「ラッタッタ」と呼ばれたサンダル履きのサルでも乗れるような原付であふれていました。
1970年年代の後半ぐらいからは、オフロード・バイクのブームが大ブレイクしました。それまでに伏線はあったのかもしれませんが、流行の背景には70年代なかばに創刊された「ポパイ」や「Be-pal」などのバイク雑誌とは別のジャンルの雑誌の影響があったのかもしれません。

この頃は飯田から上村に入る赤石林道も
しらびそ峠に登る国有林道赤石線も全線ダートでした
かくいう自分も’70年代の終りの頃に、ちょっと必要に迫られて二輪免許を取り、オフロード・バイクに乗り始めました。交通路や林道を現地調査するための足が必要だったからでした。
長野や静岡、岐阜あたりの国有林に国有林道の調査にでかけたついでに、近くにある民有林道も走りまわっていました。
ですから、いちおう悪路でオフロード・バイクを操る醍醐味や楽しさは知っています。

オフロード・バイクには20年間ほど乗りました。家の近くを猪名川が流れていましたので、堤防道は何度か通りましたが、河道の中を走り回ったことはありません。千里川のほとりにある32Lにヒコーキ見物に行くときに、堤防道をトコトコ走る程度でした。
同じころ、空港西の堤防道や低水路付近では、どこからともなくエセ・モトクロッサーや四輪バギーの愛好者が集まってきていて、思い思いに河川敷での全開走行をして楽しんでおられました。
自分は技量も未熟で乗っていたバイクで狭いダートでアクセルを全開にすると、どこにすっ飛んでいくかわかりません。砂漠のような大平原でもないかぎり、フルスロットルなんて恐ろしくてできませんでした。
猪名川から絶滅したエセ・モトクロッサー
話をもとに戻して、河川敷におけるモトクロスごっこの続きをします。
河川敷、とくに河道内の高水敷や低水路にオフロードバイクを乗り入れて、同じ場所をグルグルと走り回る行為が自然環境にとって好ましくないのは、誰の目にも明らかなことです。
モトクロスの競技をしたいのならば、本来は専用のサーキットなり、練習コ-スを走るべきです。
メーカー各社はバイクをつくって販売するだけで、競技用バイクの走行場所まで面倒をみないのもこのような問題が生じる原因のひとつです。話が飛びますが、現在は水上バイクで同じような問題が起きています。
本田宗一郎の命令でホンダがつくった鈴鹿サーキットなどは特異な例です。ホンダは昔、トライアルの練習場所として、「トライアルランド」を各地に設けたことがあります。トアイアルは、二輪車による競技種目のひとつで、急な崖や人工物の置かれた変化に富んだ場所で、足をつかないで難所をクリアする技量をポイントで競う競技です。しかし、そのトライアルランドもいつの間にか閉鎖されてなくなってしまいました。
専用の走行場所が近くにないので、モトクロスごっこに興じる人たちは他の利用者が少ない場所を選んで河川敷を走っていたのでしょう。
でも、川とはまったく関係のない河川空間の利用です。
同じ意味で、河川敷で野球をしたり、サッカーに興じる人たちもたくさんいます。
モトクロスごっことの違いは、占用許可をとってグラウンドなどの公的な施設が整備されているか、個人の自由使用かといった違いです。大きな面積を占めるグラウンドが何面も並ぶと、川の自然環境にとってよくないのは自明のことです。
堤内側の市街地内にスポーツ施設を設けるだけの広い土地が確保できないので、河川サイドである意味しかたなく受け入れているだけの話です。
ところで、エセ・モトクロッサーたちが猪名川から排除されたのには、それなりの理由がありました。

コーンが置かれて「土手が傷みます」と書かれた紙が貼られている
これは箕面川合流点の少し下流にある堤防を高水敷から写したものです。
河原には多少の凹凸があるとはいえ、フラットな場所ばかり走っていると面白くないので、誰かが堤防の土手を利用してキャンパーターンの練習を始めたのでしょう。
キャンパーターンというのは、バイクコントロールのテクニックのひとつです。
勾配の急な斜面の途中で方向転換するもので、V字バランスといって車体と乗り手の高度なバランスが要求されます。トライアル競技の愛好者や白バイにのっている隊員ならみんな身につけている基礎技術のひとつです。
そんなキャンパーターンを練習するのに、堤防が土手が恰好の場と思ったのでしょう。何でもそうですが、ブームになると愛好者に馬鹿な人や軽薄な人の数も増えてしまいます。
馬鹿な人が始めて、軽薄な人が後に続いたのでしょう。それをアホのひとつ覚えみたいに何人かで繰り返して、写真のような状態になったわけです。
堤防は、大雨が降って大水がでたときに、川から水があふれ出すのを防ぐ最後の砦のようなものです。そんな重要な役割をもった堤防の土手をタイヤのトラクションで削ってしまうとは、国賊にも値する行為です。水位が上がったときに亀裂が生じやすくなり、堤防が切れる原因になります。堤防が切れるとどうなるか? 馬鹿にはわからないのでしょう。堤防が切れたときに人柱として埋めてやれば、理解できるようになるのかもしれません。
河川法では、堤体断面を犯して堤防を毀損する行為は禁じられており、現場を見つけて通報すると逮捕されるような不法行為になります。
警察沙汰になったかどうかはともかくとして、エセ・モトクロッサーのよからぬ行為が続いて、猪名川から排除されたのでしょう。
そういえば、河川法が改正されたころに、ちょっと絵を描いてと頼まれてこんなポンチ絵をかいたことがあります。

土手をゆるやかにして野草の生育する広場を設け、モトクロスごっこやキャンパーターンの練習をできなくしたかったのだと思います。
なお、当時も現在も河道内に自生しているハリエンジュ(ニセアカシア)の高木群は、諸般の事情により絵から割愛しています。しかし、絵を書いた作者の気持ちとしては、現実のとおりがよいと考えています。
ナスカの地上絵から25年経ったモトクロスごっこの跡地
国土地理院撮影 【2012年 撮影】
ナスカの地上絵から約25年が経った2012年時点の状況はこんな感じです。
堤防の土手沿いに真っ直ぐにのびる白い線は、阪神大震災のあとにつくられた大地震などの災害時に救援物資などを緊急輸送するための道です。
暴走属科の高速移動体生物とその発動機付二輪車「エセ・モトクロス」は猪名川がら絶滅しました。
もし、見つけたときは、たいへん貴重なモノですので、石を投げたり、持ち帰ったりしないで、池田にある猪名川河川事務所に連絡してあげてください。
ご褒美にくろ川で呉春をお銚子1本飲ませてくれるかもしれません。
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