池田床固

床固とは

池田床固は、阪急電車が猪名川を渡る阪急猪名川橋の下流側約200mのところに設置されている河川管理施設です。流域という視点からみた設置位置は、猪名川流域の下流部と中流部の境界付近に相当します。

冒頭に掲げたのは、2019年に撮影されたGoogle の衛星画像です。画像が撮影された日は、たまたま端午の節句のころだったようで、拡大してみますと猪名川にたくさんの鯉のぼりが泳いでいます。

さて、川を横断して流れのなかに作られるこのような施設を床固(とこがため)と呼びます。床固は、川底の洗掘や河床の変形を抑えるために設置される河川管理のための工作物です。
「床固」は、「床固め」や「床固工」と表記したり、「床止(とこどめ)」とも呼ばれることがあります。専門的な細かいことを別にすると、ほぼ同じモノと捉えてもいいでしょう。

床固にはいろいろなタイプがあります。通常よく見受けられるのは、流されにくい大型のコンクリートブロッグを用いて、川を横断する形で何列か敷き並べたタイプです。
また、山地や扇状地を流れる川では、小さな段差(落差)をともなったタイプも見受けられ、それらは「落差工」と呼ばれています。逆に、落差をもたないフラットな床固を「帯工(おびこう)」と呼ぶこともあります。

賀茂川の落差工京都盆地の扇状地を流れる賀茂川(鴨川)の落差工
勾配のある扇状地を流れる賀茂川や鴨川では多数の落差工を設けて
流れを階段状にすることで流速を制御しています

床固の役割

床固について、建設省河川局(現在の国土交通省 水管理・国土保全局)が監修した川の専門図書には次のような解説が書かれています。
「河床の洗掘を防止して河道の勾配を安定させ、河床の縦断または横断形状を維持するために、河川を横断して設ける工作物を床固めという」(日本河川協会編『建設省河川砂防技術基準(案)設計編』、山海堂)

川を流れる水は、「削る」「運ぶ」「堆積する」という三つの力を備えています。小学校か中学校の理科で教わったことがあると思います。「削る」は「浸食する」とも言い換えられます。
普段、水位が低いときは流量も少なく、三つの力のうち、「削る」と「運ぶ」はあまり大きくありません。しかし、大雨がふったあとなどに増水すると、「削る」「運ぶ」という川の力は普段の何倍にも大きくなります。その結果に「堆積する」力も大きくなります。

三つの力のなかでも「削る力」は侮れません。
例えば、橋の架けられている場所の近くで川底が大きく削られると、橋脚の足もとや基礎が露出してしまいます。そのままにしておくと、川底がドンドン掘られて橋脚が傾き、橋が使えなくなる事態を招きます。同様に、流れの速い急勾配の川を自然の成すがままにしておくと、洗掘や堆積による川の変化が生じやすくなります。
床固は、川底や川岸が削られると困る箇所や、川底の変形をできるだけ抑えたい場所に設置される治水のための施設です。

この場所に池田床固が設置されているのは、すぐ上流側に重要な公共交通機関である阪急電車の橋梁があることも関係していますが、ここに設置されたのはもうひとつ重要な理由があります。

能勢から山あいを縫って流れてきた猪名川は、この池田床固の設置されたあたりから大阪平野に流れ出ます。川や川の流れが、山地河川(山地流)から平地河川(平地流)に変化するとも言います。
一般に、山地を流れている区間では河床勾配(上流から下流に向う縦断方向の傾斜)も急で、流れにも勢いがあります。いっぽう、平地を流れる区間では河床勾配がゆるやかになり、川幅も広かって流れもおだやかになります。
地形図や測量資料などから読み取った猪名川の中流付近の河床勾配は、いずれもおおよその数値ですが、一庫大路次川~多田神社付近が1/200~1/250、多田神社~池田床固付近が1/250~1/300、池田床固~駄六川合流点が1/350~1/380です。

河床勾配が変化するこのような傾斜変換地点では、大水のときの流れによってさまざまな水の力が生じて、河床を局所的に大きく削ったり、あるいは上流から運んできた砂礫を堆積したりしやすくなります。
また、河床勾配だけでなく、川幅が急に変化している箇所も川の流れによる影響を受けやすい場所です。河床勾配と川幅の両方が変化している池田床固付近は、猪名川という自然の営みを見るうえでポイントとなる地点のひとつです。

川の変化は自然の営みの一部です。したがって、川の流れの力による変化に止めることはできませんが、人や地域へ悪影響を及ぼす変化は、最小限度に抑えるための手立てが必要です。そのために川を横断する形で設置される工作物が床固です。

池田床固の変遷

手元にある写真のうち、池田床固を写した一番古い写真は1991年の夏に撮ったもので、今から約30年まえの床固工付近の様子が写っています。
同じ位置から同じアングルで定期的に撮っている定点観測ではありませんが、30年間のおおよその変遷がわかるように何カットか選んで並べてみます。

コンクリートブロックが散乱した床固ブロックが散乱している池田床固【1991年8月 撮影】

1991年に池田床固を見たときの印象をひとことでいえば、「川がずいぶん荒れているな」ということになります。
床固として敷設されていたコンクリートが流されていたり、割れたりして川のそこかしこに散乱しています。たぶん、一回の大水でこのような状態になったのではなく、一度流された箇所のブロックが何年かのちの大水でまた流されて、というのを何回か繰り返した結果がこのありさまなのだと思います。ブロックが流失した箇所の部分的な補修は何回か行なわれたのかもしれません。

1970年代の後半からこの1991年の春まで、しばらく大阪を離れていましたので、いつといつの出水が原因なのかは知りません。
1980年代には、たしか1988年の夏に、当時住んでいた京都の鴨川でも落差工が何基か全半壊し、流失してしまうような大きな出水がありました。池田床固が損壊したのも、もしかしたら同じ時期に猪名川流域を襲った豪雨だったのかもしれません。

1989年9月の水位記録

図 小戸観測所の水位の変化 【1989年9月】
(資料:国土交通省 水文水質データベース)

そこで、写真を撮影した1991年から数年遡った期間に限定して、過去の流量観測データをざっと確認してみました。すると1988年6月3日と翌89年9月3日に大きな出水があったことがわかりました。前者は梅雨前線、後者は秋雨前線による出水です。

五月山の山麓に設置されている小戸観測所のデータで出水のピーク時の水位をみると、次のような観測記録が残されています。
・1988年6月3日16時ごろ:2.3m(普段よりも約2.5m上昇)
・1989年9月3日09時ごろ:3.1m(普段よりも約3.3m上昇)
破損した時期がいずれにしても、上の写真のように壊れてしまうと、いくら補修しても賽の河原の石積みのようなものでしょう。

1991年の写真からかなり間が開いてしまいますが、2009年に訪れたときには補修され、このような大型コンクリートブロックを上に置き重ねて補強されていました。

補修された池田床固

大型コンクリートブロック大型ブロックを置いて補強された池田床固【2009年11月 撮影】

低水路のあちこちに散らばっていた古いコンクリートブロックもある程度撤去されたようです。撮影地点や画角が違うので比較しにくいですが、背後地にあった阪急池田車庫跡を利用した槻木のゴルフ練習場がなくなり、高層マンションができています。

新たに置かれたのは、かなり大きなコンクリートブロックです。目視で寸法を読むと、縦横それぞれ約1.5m、厚みが0.3mぐらいあります。体積を計算し、鉄筋コンクリートの比重を2.5として、概算重量を計算すると約1.7トンと算定されました。掃流力を計算してコンクリート製品を選んでいるはずです。この池田井堰の設置条件ですと車1台分ぐらいの重さがないと、以前に置かれていたコンクリートブロックのように流されてしまうということでしょう。

中央付近の一部のコンクリートブロックが沈下したり、傾いたりしているのは、床固の設置された河床の一部で砂礫が流失したためです。床固は河床の変化に追随できるように屈撓性を持たせているので、川底の形が変ればこのような状態になります。
見た目は損壊しているようにも思えますが、床固の役割はとおおむね正常に機能していると思います。

大きなコンクリートブロックで補強された床固家族連れが池田床固を利用して渡河【2009年11月 撮影】

撮影した日は確か日曜か祝日だったと思います。小さな子どもを連れた家族が、床固のコンクリートブロックの上を歩いて対岸へ渡っています。川西能勢口の駅前にあるデパートで買い物をした帰りなのでしょうか。

床固の状況は、画像のように渡河路として利用するには少し不安定な状態です。
床固への入口には、進入防止柵とロープが設置され、さらに「きけん!」の標識が掲げられています。この上を歩いて渡る人が後を絶たないからでしょう。あるいは、足を滑らせて転倒するような事故が起きたのかもしれません。

利用者は立ち入り規制の柵やロープを越え、危険を承知して渡っているはずです。もし事故が起きても自己責任として完結し、管理者の責任を問わないというならば、それもひとつの考え方でしょう。ですが、実際には、事故がおきるとそうならないケースも多く、矛盾をかかえた河川利用が続いています。そのあたりはちょっとスッキリしません。

床固の構造と利用者【2009年11月 撮影】

この写真をみると床固の構造がよくわかります。
大きなコンクリートブロックの下には、「改良沈床」という名前の工作物が設置されています。
この沈床工は、もともとは丸太で組んだ枠の中に大小の捨石を詰めたわが国の伝統工法のひとつです。この改良沈床では、丸太の代わりにコンクリート製の角柱が用いられています。木製をコンクリート製に改良したというのが名前の由来です。
改良沈床の下流側には、以前に散乱していたのと同じ大きさのコンクリートブロックが敷き並べられています。

大人だけでなく、まだ小さな男の子が2人、子どもだけで渡っています。小学校の低学年ぐらいの子どもですが、冒険心が旺盛で結構なことです。川のどこが危険で、転落など何か不測の事態が起きたときに、どう対処すればよいかについて、ちゃんと教え込まれているならば構わないと思います。

池田床固全面改築された池田床固【2016年7月 撮影】

こちらは2016年7月に左岸の池田側から撮影した床固付近の様子です。

補修を重ねられていた以前の床固は全面的に撤去され、新しい床固ができていました。四半世紀前は荒れていた川の景色も一新されて、ずいぶんスッキリしたモダンな猪名川になりました。

但し、川の状態は大水がでると変化しますので、3年が経過した現在では、砂礫が堆積するなどしてこの画像の状況から変っているかもしれません。

ちなみに、撮影地点が20mほど上流側の堤防上にずれますが、25年まえの猪名川はこんな風景でした。

池田床固付近【1991】四半世紀まえの池田床固付近 【1991年9月 撮影】
左端に写っているのが当時の池田床固、ブロックの上に人影が見える
床固の延長線上に見えるビルはアステ川西

新しい床固に面した高水敷の端には、立ち入りを規制するチェーンがあります。そのチェーンにぶら下げられた黄色い看板には、次のような注意書きが記されています。
「これは河川管理施設ですので渡らないでください。一般の方の通行は禁止します。」

水位が低い時にはコンクリートの一部が水面上に露出します。一見すると「飛び石」のようにも見えますが、看板に書かれているとおり河川を管理する立場からすると飛び石ではないようです。
目の前に対岸に渡れるような飛び石のようなモノがあって、「渡らないで」と書かれると、なんとなく「渡りたく」もなりますが、書かれているとおり「渡らない」方が身のためです。
なぜなら、川の流れの速さは目で見たよりも速く、床固工の下流側の河床は浸食を受けて深くなっています。水位や流れの速さにもよりますが、もし、転倒して流されると手遅れになります。
立ち入り規制のチェーンや「渡らないで」と書かれている注意喚起の看板は、そういう川の危険をよく知っている河川管理者の親心から設置されたのでしょう。親心のついでに、事故が起きたときに備えて救助用にロープのついた浮き輪を設置しておくと役に立つかもしれません。

飛び石に渡る流れ橋飛び石のようなモノに渡るための流れ橋【2016年7月 撮影】

こちらは低水路に降りて左岸の水際から撮った様子です。
護岸にはハシゴが置かれていて河床に降りることができます。護岸の法先と飛び石のようなモノの一番端との間は少し離れています。そして、護岸と飛び石のようなモノとの間に板を渡して渡れるようにしつられています。その板の一端は、ロープで岸に結ばれています。
日本の川から絶滅しつつある「流れ橋」です。猪名川にも以前、多田神社の上流側の多田院地区に2つ3つありました。名前がなかったので、自分は便宜上、「多田院の流れ橋」と呼んでいましたが、もう何年か前に撤去されて残っていません。

水位が高くなって、飛び石のようなモノを伝って渡るのが危険な状態になると、入口の流れ橋は流れてしまいます。川の危険度が高くなると、渡河をできないようなシステムになっています。シンプルですが、よく考えられたリスクマネージメントの手法だと思います。

この地点で対岸に渡りたい場合、最寄の橋は呉服橋ですので、堤防沿いにぐるっと回ると約1㎞あります。いっぽう、仮に、床固の飛び石のようなモノを使えば僅か100m。歩く距離は10分の1で済みます。

この池田床固付近に対岸に渡ることのできる歩行者系の動線を設ければ、かなり便利になります。ニーズがあるのは、改築前の不安定なブロックの床固工を多くの地元の人が自己責任で利用していたことからみても明らかです。
改築された床固の飛び石のようなモノを利用するために置かれた護岸のハシゴや入口の「流れ橋」は、たぶん非公式なモノですが、地元の誰かが良かれと思って置いたのでしょう。

あとは、最初に書いた看板に書いてあったことと関係しますが、流れる水が存在する限り、川には危険が内在しています。危険を回避したり排除するための知識や措置も必要ですが、水難事故が起きたときに誰が責任を負うかということを明確にし、そのことを河川管理者と利用者、つまり流域社会が共通認識としておくことが重要です。そうすれば、せっかくつくった飛び石のようなモノも「飛び石」として活かされて、もっといい猪名川になると思います。

渡河路の整備イメージ床固を利用した飛び石の整備イメージ【1993年 作画】
案では水難事故に備えて救助救命用の浮き輪の設置を描いています

責任逃れのために何でも禁止したり、自己責任を負うべきケースなのに管理者責任を追及するような発想や風潮はそろそろ改めるべきでしょう。30年ほどまえになりますが、池田床固の改築にあわせて、水位の低い普段の渡河路として利用できる飛び石の設置を提案した者として申し述べておきます。


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