河内木綿は、大阪の八尾市周辺で江戸時代から明治にかけてつくられていた伝統工芸品です。棉の繊維が短く、手で紡いだ糸は少し太目です。織りあげた布が丈夫で長持ちすることを活かして、蚊張地、旗や幟の生地として使われたり、藍で手染めして暖簾や普段着、布団地などに使われました。
その後、機械織りに適した輸入綿に市場を奪われ、河内木綿は廃れてしまいましたが、市民団体が伝統工芸の復活を試み、河内木綿を使った藍型染の暖簾が製作されました。その暖簾を加工してサイクリング用 兼犬用の食料補給袋をつくってみました。
河内木綿の暖簾でつくった食料補給袋【第一作】
好物の「鮭とば」の入った食料補給袋を背負った先代
「食料補給袋」は自転車のロードレースに欠かせない小道具のひとうです。最近ロードバイクに乗りだした人にとっては、「サコッシュ」とおしゃれに言ったほうがわかりやすいかもしれません。
ヨーロッパで生まれた自転車のロードレースは、通常200㎞以上の長い距離を走ります。100年前後の歴史のあるクラシック・レースのひとつに『ミラノ・サンレモ』というレースがあり、1日でミラノからサンレモまでの300㎞近くを走ります。競技時間は6~7時間前後におよびます。
選手は何時間も休まずに走るので、レース途中でガス欠が起きないよう、お腹の中と背中のポケットにはあらかじめカロリーの高い食料を詰め込んでスタートします。しかし、背中の補給食はレースの中盤までに食べてしまうので、後半の燃料はコース途中の沿道に立つチームのサポートから補給を受けます。
「食料補給袋」は、そのときに使われるコットン製の袋です。チームのスタッフから選手に渡しやすいよう、また、受け取ってから肩にかけて走れるようヒモの輪っかがついています。
閑話休題
ここまで書いて、ロードレースでの食料補給袋の受け渡しは、むかし、国鉄の単線区間でみられたタブレット交換のうち、特急や急行で行われた「すくい取り」に似ているのに気づきました。
タブレット交換は、通常、上下2本の列車が行き違いをする駅で停車して行われました。タブレットはキャリアに入れて、乗務員から助役または駅長に手渡され、さらに別列車の乗務員へと手渡しされます。
しかし、特急や急行など先を急ぐ列車は、停止する時間がもったいないので走行したままでキャリアの受け渡しを行っていました。
走行中の列車から駅へ渡すときは「投げ渡し」といって、通過するホームの端部に設置された螺旋状の通票受器に機関助手が窓から乗り出してキャリアを引っかけます。そのあと、ホーム先端の通票授器にセットされているキャリアを受け取って走り去っていきます。これを「すくい取り」と言いますが、失敗すると腕を骨折することもあるので、車両の側面にタブレットキャッチャーという金属製のアームをつけ、それを使うこともありました。
タブレット交換での通票に相当するのが補給食やボトルに入った水で、キャリアに相当する布製の補給袋に入れて走りながら受け渡しします。補給袋を受け取った選手は、中に入っていた食料を自分のジャージの後ポケットに移すと、空になった袋を沿道に放り投げ、観客はそれを拾って観戦のおみやげにするわけです。
食料補給袋は、レース中の1回限りの使い捨てなので簡単なつくりです。製作費用を捻出するために、チームやスポンサーのロゴをプリントし、広告グッズを兼ねて使われることもあります。
このような食料補給袋は自転車マニア向けにレプリカも作られていて、むかしから一部の専門店で販売されていました。別にレースに出なくても、サイクリングの時に食料や小物を入れて携行することができるので、ひとつあると便利な小道具のひとつです。自分は市販品を中学生のときからずっと愛用しています。
チームとスポンサー名の入った市販品(左下)と木綿の暖簾で製作中のもの
以前に購入したのが二つほどありましたが、少し傷んできました。ちょうど手元に使っていない丈の短い木綿の暖簾があったので、3つ割れの布地(□□□)のうちの2枚を縫い合わせてつくってみました。
暖簾の三辺を縫い合わせて第1作目を製作中
左右と底の三辺を縫って、肩掛けヒモをつける輪っかをつくるだけです。縫い方は、小学校の家庭科で習った半返し縫いが主体なので、おっさんでも簡単です。
出来上がりは冒頭の画像のとおり。うちの場合は、ひとつの補給袋を人と犬が兼用します。
さて腹も減ったし、食料補給袋を肩からぶらさげて町内を回り、食料を貰ってくることにします。
河内木綿と藍染めの暖簾
食料補給袋の材料に使った暖簾は、10年前に実家の押し入れから発掘したものです。大阪府の河内地域の特産品だった河内木綿を使った藍染めのものです。使われている糸がやや太く、しっかりとした手触りの丈夫な布地です。
八尾市歴史民俗資料館のウエブサイトによると、「河内木綿」とは、江戸時代から明治のはじめにかけて、河内地域で栽培された棉から糸を紡いで手織りされた木綿の呼び名だそうです。
河内地域における棉や木綿の生産は、古くから盛んだったようです。江戸時代初期には「久宝寺木綿」とも称され、京都でも好評を博した高級品として扱われたそうです。
1704(宝永元)年に大和川の河道が現在の位置に付け替えられ、旧河道の跡は農地として利用できるようになりました。農地が拡大したことを契機に河内の棉作りは一層盛んになりました。同時に、「河内木綿」としての木綿織や木綿製品の商いも大いに発展したということです。
当初の河内木綿は、厚地の白木綿が主体で、蚊張地、旗や幟の生地、酒袋などに用いられたそうです。その後、藍染めでさまざまな縞柄を染め、普段着や野良着、暖簾、布団の表地などに使われてきました。
明治時代になると、外国から紡績機械が持ち持ち込まれ、安くて機械織に適した綿や綿糸の輸入がはじまりました。いっぽう、河内木綿は繊維が短く、紡いだ糸が太くなるため、機械で紡ぐことには向いていませんでした。
その後、1896(明治29)年に輸入綿の関税が撤廃されると、綿製品の生産はそれまでの家内制手工業から近代的な紡績工場へと変化し、加速度的に外国製の綿に市場を奪われてしまいました。河内地域における産業としての綿や木綿の生産は、明治後期から大正のころには終焉を迎えました。産業としての河内木綿が衰退していった過程は、ずっとのちの昭和の時代に、大阪を中心として盛んだった自転車のフレームや部品製造業が、1985年のプラザ合意を契機に急激に衰退してしまった状況とよく似ています。
昭和になってからも長い間、河内木綿の生産は途絶えたままだったのですが、地元の有志によって郷土の誇りでもある伝統工芸を復活しようとする気運が高まりました。
1978(昭和53)年、八尾市の市制30周年にあわせて地元の市民団体である「やお文化協会」によって、河内木綿を使った藍型染の暖簾が製作されました。河内木綿が全盛期だったころの手織り・手染め品と多少異なるそうですが、できるだけ当時のものに近づけたということです。
実家の押し入れから発掘したのは、その時に製作・配布された暖簾です。
菊花と唐草を組わせた「藍型染め菊花唐草文様」
この暖簾の文様は、菊花と唐草を組み合わせた「藍型染め菊花唐草文様」と呼ばれる伝統的な文様のひとつです。
暖簾の収められていた紙袋には、服飾史や河内木綿の研究をされた辻合(つじあい)喜代太郎氏【1908-1993】による解説文が記されています。
その文によると、「菊花は桐花とともに瑞祥の花で、古くから延年草、日精と呼んで、人々に広く愛好された花です。また、唐草文様は無限の生命を象徴しているものといいます。したがってこの型染め布は、藍型染めのなかで最も優れたもの」だそうです。
伝統工芸のことには疎いので、その値打ちはよくわかりません。しかし、めでたい前兆をあらわす花と、無限の生命を象徴する唐草を文様にした伝統工芸品を押し入れのなかでいたずらに眠らせておくのは、たいへんもったいないということはわかりました。
オリジナルとは少しばかり用途が変ってしまいますが、自分流にアレンジして大切に愛用させていただきます。
■八尾市歴史民俗資料館 河内木綿の部屋
http://www17.plala.or.jp/yaorekimin/10momen.htm
■やお文化協会(2019年に解散)
http://www.yaobnk.com/
少し改良を加えた食料補給袋【第二作】
最近つくった第二作目の食料補給袋
八尾特産の河内木綿を素材にした伝統工芸品の暖簾を使った食料補給袋の新しいのができました。なお、「食料補給袋」は自転車流の呼び方で、世間では、おしゃれに「サコッシュ」と呼んだ方がよく通じます。
4年半酷使して傷んだ第一作の開口部
2016年につくった第一作は。自転車に乗るときや外出時の食料補給袋やズタ袋、犬を散歩させる時のおやつ袋として使っていました。重いデジカメやタブレット端末、三合瓶なども入れて、ずいぶん酷使したので、河内木綿の丈夫な生地もだいぶ傷んできました。
このあいだ、とうとう破れてしまったので、また同じものをつくりました。
食料補給袋の新旧比較 左が第二作
前作の傷んだ箇所をみると、モノを出し入れする天側の開口部が生地の摩耗したり、ほつれています。第二作では、縁を折り返して、内部には芯地を入れて耐久性を持たせました。
開口部を折り返し芯地を入れて補強
さらに、出先でアクシデントに遭遇するなど困った時に備えて、開口部の片方には芯地の代わりに特別給付金の万札を細長く折って縫い込んでいます。和紙でつくられたお札は、反復使用や水濡れにも強く、万札をくれた安倍政権よりも長持ちするはずです。
第二作目では、ユーザー様のご意見をフィードバックさせて、細かい改良も少し加えています。
ベルト端部をとめるホックの変更
袋の下部の隅についているホックは、自転車に乗って前傾姿勢をとった時の振れ止めのベルトの一端を固定するためのものです。
脱着できるよう第1作目では、バネホックを使いました。実際に使ってみると、少しバネが弱くて不用意に外れてしまうこともありました。第2作目ではバネの強力なジャンパーホックに変更しています。
行儀見習いの小坊主が第二作を試着中
第一作目を使っていた先代は、完成してから2年半のちに17歳あまりの天寿をまっとうしました。第二作目は、この後釜の小坊主が使います。保健所から引き出されて愛護団体のシェルターで1年半ほど過ごし、うちに来てから1年ほどしか経っていなくて、まだ修行中です。
試着させてみましたが、怖じ気づいて座りこんでしまいました。
先代は、冷静沈着にして勇猛果敢、一度くわえた食べ物はいかなることがあっても絶対に放しませんでした。そのあとを次いで、伝統ある河内木綿の食料補給袋を背負うのは、怖がりの小坊主にとってまだ荷が重いようです。
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