木馬道と木馬

このページのモノクロ写真は、いずれも1969年10月の撮影です。
場所は、中津川の上流、魚谷峠への道が分岐する松尾谷出合から、直谷の麗杉荘の下流付近の区間です。出合から奥はずっと木馬道でした。
いまは麗杉荘のさらに奥まで林道が入っていますが、当時は松尾谷出合が中津川の林道の終点で、集材するための土場が設けられていました。

最もシンプルな木馬道は、丸太を組んだ橋や梯のような構造物ではなく、杣道を利用したこのようなものです。谷底から数メートル高い位置につけられた杣道に、直径5㎝前後の細い丸太(枕木)を横方向に並べただけです。橋梁構造の区間と違って、細い丸太を固定するための縦方向の丸太はありません。

谷を左岸から右岸へ渡りかえす場所には、谷筋を斜め方向に対岸に渡る橋梁構造の木馬道が設けられています。
直谷は数年に一度、比較的大きな出水があったようです。谷底には大きな岩が転がり、少し荒れています。谷底がこのような状態なので、丸太を搬出するためには木馬道が必要だったようです。

この場所は谷筋に沿ったほぼ直線区間です。木馬道は、写真の真ん中あたりで谷の右岸から左岸に渡っています。

ゆるいカーブで谷の対岸の渡る橋の箇所です。
橋の区間は高さがあるので、木馬が枕木から外れて谷底に落ちないようにカーブ区間の右端に転落防止の細長い丸太がつけられています。
鉄道の急カーブに設けられている脱線防止の補助レールと同じようなものでしょう。

これは中津川の本谷ではなく、松尾谷出合のところで南側から降りてくる枝谷に設けられた木馬道の支線です。
スギの枝で半分隠れてしまってますが、赤丸の中に丸太を積んだ木馬が停められています。
カラー2点は民家の軒下で立ったまま長い眠りについている木馬です。
いずれも2015年5月の撮影です。
木馬の構造や寸法、各部の呼び名は地域によって異なるようです。以下は、文献に書かれていた名称なので、北山での呼び方と異なるかもしれません。参考までに。
軒下に立てかけられた状態で何十年間か保管されています。地面に接した方が前(進行方向)で「ハナ」と呼ばれます。上が後方で「シリ」です。ハシゴと違って、ハナよりもシリのほうが間隔が広くなっているわけです。
そりの役目を果す左右の長い材は「ダイ」、左右のダイをつなぐ細い木は「ヌキ」です。前方のが「ハナヌキ」、後ろ側が「シリヌキ」です。
運搬する丸太を載せて固定する前後の横方向の丸太は「コダイ」とか「マクラ」などと呼ばれていました。
下の画像のようにマクラの下に短い柱をつけて積載位置を少し高くし、運搬する丸太の端部が地面や木馬道に接触しにくくした木馬もありました。
このようなタイプを『トリイの木馬』と呼ぶ人もいるそうです(笑)
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