SALEWAの仲間救助スコップ


積雪期登山の機動力と安全度を高める山スキー

『仲間救助スコップ』とスキー板で組んだ応急搬送用のソリ<『仲間救助スコップ』とスキー板で組んだ応急搬送用のソリ

1980年ごろから90年にかけての約10年間、年末から5月ごろにかけての積雪期には、ほぼ毎週のように山スキーにでかけていました。山スキーというのは、山専用のビンディングのついたスキーをつかった積雪期登山のことです。
山スキーでは、雪の締まった春先や岩場の通過時などを除いて、原則として常にスキーを履いたままで行動します。登りは滑走面に「シール」というナイロンの毛を植毛した滑り止めを貼って歩いて登り、雪の状態によってはスキーにも専用のアイゼンをつけます。下りは「シール」をはずして普通のスキーのように滑って降ります。短い登りと下りが交互に出現する稜線などでは、シールを付けっぱなしで登高と滑走を繰り返します。

山スキーにはゲレンデスキーと異なる点がいくつかあります。
代表的な点をいくつか列挙すると、靴の踵の固定と開放ができる専用のビンディングを使うこと、冬山装備の入ったザックを背負って登高や滑走すること、新雪やウインドクラストした雪などさまざまな雪質に対応できる技術が必要なこと、雪崩や悪天候など冬山登山と同様の安全管理能力が求められることなどです。

荒島岳新雪の積もったブナ林の滑降 荒島岳(福井県)【1987年2月 撮影】

山スキーを使い、体力と経験、滑走技術の面で足並みの揃った少人数のメンバーでパーティを組むと、雪山でスピーディに行動できます。好天の日や行動時間が限られる冬の山では、スピードは安全登山にとってたいへん重要です。天候が悪化して山に閉じ込められる危険性を回避したり軽減したりできるからです。
逆に、ぐずぐずしたメンバーを混ぜてしまうと、その人が足かせとなってパーティの行動が遅くなります。行動が遅ければ遅いほど所要時間が長くなり、そのぶん危険度も増大します。
あえてここには書きませんが、そのことを戒めるために単刀直入に表現した言葉が伝えられているほどです。雪山では、速やかな行動を常に念頭に置いて登っていました。


雪崩の危険と対応策

雪山で山スキーを使うと、道のついていないところも登ることができるので、藪がひどくて無雪期に近づけない山や、道がなくあまり人の登らない山も射程圏にはいってきます。そのいっぽうで、とんでもない急斜面をルートに取らざるを得ないこともあります。山スキーで行動する際は、雪の状態を常に把握するとともに、ワカンを使って歩く時や足になにも付けずに壺足で歩く時以上に、雪崩の発生には細心の注意が必要です。

雪崩の発生しやすい急斜面のトラバース【1982年1月 撮影】

しかし、どんなに注意していても、発生条件が揃ったら起きるのが雪崩です。雪山の事故で、「あんな緩いところが雪崩れるなんて」とか「雪崩は想定外だった」というのはあり得ません。
行動中に雪崩に遭遇し、メンバーが雪崩に埋まった時、最初に行なうべきことは、助けることではありません。
最も重要なことは、二発目が来ないかどうか、まず安全を確かめることです。その次にとるべき行動は、残ったメンバーの安全を確保することです。三番目は、埋まっているメンバーを捜し、一刻もはやく掘り起こさないといけません。

そんなわけで山スキーや冬山登山には、スノースコップと呼ばれる除雪用のスコップを必ず持参します。ほかにスノーソーやゾンデ、ビーコンがあれば、より有効です。

以前に使っていたスノースコップ以前に使っていたスノースコップ

登山を始めたころは、土木作業用の角スコップをキスリングの上に括り付けていました。その後、アルミ製の軽量化されたものや本体と柄が分割可能で携行に便利なものを使っていました。軽量化されたとはいえ重量があり、そのうえかさばるのが難点でした。
簡易なものとして、ピッケルのシャフトの先端に取りつける小さくて軽い製品もありました。何度か使ったことがありますが、シャフトのテーパー部に付けるため固定が甘く、小さすぎるのでほとんど役には立ちませんでした。


スコップを買った京都ムラカミという店

『仲間救助スコップ』サレワの『仲間救助スコップ』

画像のスコップは、ドイツのサレワというメーカーのもので、1984年に京都ムラカミという登山用品の専門店で買ったものです。

京都ムラカミは丸太町通堀川東入ルにあった小さな店です。1921年に三条で創業し、2007年に80余年の歴史に幕を閉じたため、現在はもうありません。
京都ムラカミは、AACK(京都大学学士山岳会)をはじめ、京大・同志社・立命館などの大学山岳部や社会人山岳会などから信頼を得ており、ヒマラヤやカラコルムなどをめざす数々の海外遠征隊を支え、登山靴をはじめとした装備の調達先として利用されてきました。
店主の村上隆造さん自身も大学山岳部創設期のメンバーです。OBで組織される山岳会の会長でもあり、さらに、定評のあるムラカミの登山靴の研究・企画・製作もされていました。

京都ムラカミの雑誌広告
山の雑誌に掲載された京都ムラカミの広告
『岳人』335号【1975年5月】

京都ムラカミという店を知ったのは、登山をはじめた中3の時です。代理店だった中崎町のシャレーという店で、ムラカミ製登山靴のイラストと解説が載ったA5ぐらいのカタログをもらい、登山靴が欲しくて毎日眺めていました。中学の卒業式が終わり、高校入学前の長い春休みに市場の八百屋でバイトし、そのバイト料を全額つぎ込んでムラカミで登山靴をつくってもらいました。

山スキーを楽しむ村上隆造さん
湖北の山で山スキーを楽しむ村上隆造さん【1982年1月 撮影】

そんな店ですので、店には登山靴や遠征隊に採用された高所用登山靴のサンプルが並んでいました。また、大阪にあったIBSやロッジなどの大型登山専門店でも売っていない海外の登山用具が商品棚に置かれていることもありました。
このサレワのスコップも他所ではあまり見かけない装備品のひとつでした。商品名はよく分かりませんが、村上さんからは「これは『仲間救助スコップ』というんやそうです」と教わりました。名前の由来は、自分が埋まったときには使えず、パーティのメンバーが埋没したときに使うからです。その名前はもしかしたら、同じスコップを一足先に買い求めたIさんが命名したのかもしれません。

村上さんは「2本だけ仕入れた商品で、1本はAACKのIさんが買いはりました。これで終わりやけど、ええもんに目をつけはりましたねぇ」と言いながら、購入したことを喜んでくれました。
その当時、村上さんは還暦前後のお歳でしたが、時々山スキーやスキーをご一緒していましたので、ザックの後ろに大きな重いスノースコップを付けて滑っていたのを知っておられたからです。
『仲間救助スコップ』を購入する際、いつもどおり値段を少し勉強してくれはりました。当時、まだ大学に在籍していましたので、舶来のスコップはバイト代2日分ほどに相当する高価なものでした。

そういえばこの文を書いていて、1982年1月に初めて山スキーのお供したときのことを急に思い出しました。村上さんの車で武奈ヶ岳にいきましたが、倍以上年上でしかも山岳会長だという偉い人に、往復とも運転させてしまいました。今思えば冷や汗ものです。
そのときは少し重い新雪が1mほど積もった西南稜で、当時、文献で調べていた古典的な滑走技術のひとつ、一本杖のインナーリーンで滑って、昔からのスキー技術をよくご存知だった村上さんにうまくできているかチェックしてもらいました。村上さんのスキーは年期が入っています。関温泉の朝日屋旅館で泊まったときには、田口駅から馬橇にゆられて来たことがあるという昔話も伺いました。新婚旅行もスキーだったそうです。

なお、インナーリーンとは、トンキン竹の長いストックを束ねて持ち、一本杖のように左右に持ち替えながら内傾し、踵を開放した状態でのターンです。湿気を含んだ重い新雪や深雪で有効なターンで、テレマークターンと少し似ています。


『仲間救助スコップ』と登山の精神

『仲間救助スコップ』の構成部品

『仲間救助スコップ』の構成部品

『仲間救助スコップ』はいくつかのパーツから構成されています。重量は、構成部品全部で約900g、スコップの状態だと約700gとたいへん軽く、それまで使っていた木製の柄のついたアルミの平スコにくらべて約3分の2の重さです。
このスコップの優れている点は、ドイツの工業製品らしく丈夫でたいへん合理的につくられていることです。

『仲間救助スコップ』のスノーソー

『仲間救助スコップ』のスノーソー

冬山に必携のスノースコップ、スノーソ-(氷用ノコギリ)が柄を共用する形でセットになっていました。極めつきは、スコップと柄を分解してスキー板と組み合わせれば、負傷者を運ぶ際の救助用ソリに利用できることでした。

『仲間救助スコップ』で組んだ応急用搬送そり『仲間救助スコップ』で組んだ応急用搬送そり

山で遭難し自力下山ができないとき、「携帯でヘリタク(救助ヘリ)を呼べばいいや」と思っている今時の脳天気な中高年レジャー客と違って、昔の登山者、少なくとも山岳部で育った部員は、登山の基本は自己責任・自己完結だという意識がありました。事故発生時の応急処置、負傷者の搬出や遭難救助、捜索活動を含め、他者に援助を依頼する前に部のOBも含めた自分たちでできることは自分たちでなんとかするという気概があったからです。

村上さんは、1959年12月に後輩の山岳部員6人が劔岳池の谷で雪崩に流され、行方不明になった事故の際、捜索の責任者をしておられました。雪が溶けだす春から半年間以上、現地に詰めて谷筋の雪渓末端付近で捜索活動を行ない、秋に最後の部員を収容するまでの話を山で時々伺っていました。

このスコップを手にいれてから、山スキーに行くときは必ずに背中に付けていました。スコップは、加越や北陸、甲信越、東北などにお供しましたが、幸いにも雪崩に埋まった『仲間救助』の目的でつかったことはありませんでした。

いまは目を悪くして雪山には行けないので、今、スコップは物置部屋の奥の壁にぶら下がって余生を過ごしています。今日は久しぶりにスキーに付けて搬送用ソリを組んでみました。
京都ムラカミからI 氏の手に渡ったもう1本のスコップはその後どんな山にお供したのか、時々気になることがあります。I氏はもう傘寿を過ぎておられるので、氏のスコップも今は現役を引退していることでしょう。


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