鴨川の ほとりにいでて ながめやる
荒神橋は なつかしきかな
香淳皇后陛下御歌
鴨川に架かる荒神橋。ちょっと恐ろしげな橋の名は「荒神さん」として親しまれている火の神、三宝荒神を祀る護浄院が近くにあることに由来しているそうです。
橋のすぐ上流には、河床を安定させるためのコンクリートブロックが敷き並べられています。昭和が終ってしばらくしたころ、ブロックの端を利用して川をわたることができるように、コンクリートの飛び石が設けられました。なぜなのかわかりませんが、この飛び石はでかい亀の形をしています。
夏のある日、犬の散歩に来た親子連れが中州から流れに入って、気持ちよさそうに川の中を歩いていました。
冬の日の昼下がり、中州で上流に向かって直立不動の姿勢でたたずむコート姿のおね~さん。ユリカモメの群れを長い間ずっと見ていました。
秋の日のたそがれ時、水の増えた流れを学校がえりの少女たちが、おっかなびっくりなあしどりで飛び石伝いにわたっていました。
みなかみに連なる北山の山並みを遠望できるこの橋からの眺めは、好きな川の風景のひとつです。以前は無粋なコンクリートの亀もいなくて、もっといい景色だったのですが、ここに棲みついてしまった以上はしかたがありません。
川のなかにいる新参者のこの亀さんは、この橋の歴史や近くのまちの様子を知る由もありません。荒神橋事件のこと、時代の音を奏でたジャズ喫茶Cのこと、学生証をカタに定食を食わせてくれたK食堂のこと、橋の下でぎんなんを売っていた人のことなど、少し昔の話でよかったら今度わたるときに教えてあげましょう。
Memo
- 鴨川/京都府
- 撮影:1994/08、1995/12、1996/09、2007/10、2010/06、2010/11
- 旧版公開:2000/01/23、改訂版公開:2017/09/16
- 荒神橋の西詰を少し上がった亀屋町には、かつて久邇宮家の京都邸がありました。跡地の三本木通りに面した一画に香淳皇后の歌碑が建てられています。
- 荒神橋の上流に亀が出現したのは、平成になってしばらくしたころ、たぶん1992年か93年ごろだったかと思います。
亀が住みつく以前の荒神橋のあたり 【1987撮影】
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