吉野川の下流域は、かつて全国一の生産を誇った阿波藍の産地でした。川が運んだ肥沃な土は、染め上がりの美しい良質の藍を生みだしました。けれども、川の恵みをうけるということは、時には、川の脅威にもさらされるということで、いわば両刃の剣のようなものです。
第十堰の近く藍畑(地名)に建つ田中家は、江戸時代の初期に入植し、代々続いた藍商の家です。吉野川の氾濫による被害を避けるために、江戸末期の安政初年頃から30年余りを費やして、高石垣造りの敷地を造成し、藍づくりに欠かせない藍を発酵させるための藍寝床や母屋などが建てられてきました。
その田中家のなかで一番新しい建物、といっても1887(明治20)年にできた藍納屋の軒先に吊されているのは、救助・避難用の小舟です。木曽三川が流れる輪中地帯では、こうした舟を「上げ舟」と呼び、むかしは輪中地帯の大抵の家で見うけられた洪水への備えです。
輪中の「水屋建築」にも通じる「高石垣造り」や「上げ舟」が吉野川下流域にも存在したことは、第十堰で有名になったこの地を訪れるまで全く知りませんでした。
財力のあるいわゆる地主階級であったからこそ、なし得た防水建築や有事への備えかもしれません。が、現在、声高に叫ばれている危機管理とは、このように念には念をいれた備えが必要であり、やはりそれなりのコストを要するものでしょう。
阿波藍の生産は、明治末期にドイツから伝わった合成染料に駆逐され衰退してしまいました。「藍畑 田中」と艫に彫り込まれた平底の小舟は、周辺にあった藍畑が蔬菜畑や水田、あるいは住宅地に変わろうとも、この地の土地柄を静かに語りかけています。
Memo
・吉野川/徳島県
・撮影:2000/04、撮影協力:石井町 田中家
・旧版公開:2000/04/18、改訂版公開:2017/09/04
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