水車や水車小舎といえば、のどかな田園風景を彷彿とさせます。しかし、それは原風景というか幻の風景であって、現実の農村地帯には、もはや現役の水車や水車小屋などほとんどありません。たとえ水車があったとしても、それは観光資源として復元整備されたレプリカか、蕎麦屋の客寄せパンダでしょう。
ただし、ごく稀ではありますが、働く水車としての機能を果たしながら回り続けているものも見受けられます。例えば、筑後川中流域の農業用水路にある朝倉の揚水水車がそのひとつです。安曇野のワサビ畑の中を流れる蓼川の水車も有名ですが、もとは黒澤映画のセットとしてつくられたものなので、働く水車として扱っていいかはちょっとグレーです。
農業に使われる水車には、大きく分けて2種類あります。ひとつは、川や水路から水を汲みあげる「揚水水車」。もうひとつは、穀物などの粉挽きにつかわれる「動力水車」です。
四国の山間に残るこの水車は、後者の用途で現役として使われている水車です。観光資源ではないので、水車小舎も質素なトタン葺きですし、道路から少し山に入った場所でひっそりと回っていました。
水車の車軸が伸びた小屋のなかには、ロッカーアーム(腕木)を介して杵を上下させ、この地方で「白きぬ」と呼ばれる精米を行う仕掛けがあります。また、軸の端につけられた木製の大きな歯車によって回転方向を変え、ソバ・小麦・サトウキビの粉挽きを行うための臼なども備えつけられています。
水車小舎は山間の滝と滝との間にある狭い岩棚に建てられていて、近くの民家や道路からは急な坂道を行かねばなりません。水車の動力源となる水は、すぐ上流に懸かっている滝の落ち口付近からパイプと木製の樋で水車の上まで引かれています。
自分の足で登ればいやでも分かりますが、四国山地は急峻です。四国の山懐や山里に暮らす人々のご苦労もひとかたならぬものであると偲ばれます。しかし不思議なことに、屋根つきの木橋といい、自力復旧の流れ橋といい、川と木の国の文化を伝えるたくさんのお宝が守り継がれているような気がします。
四国のお宝は、「最後の清流」のレッテルを貼られていささか疲れ気味の四万十川だけではありません。
水車のある吾北村は、東陽一監督「絵の中のぼくの村」(1996年シグロ作品)のロケ地のひとつになった村です。
Memo
・枝川川/高知県
・撮影:2002、旧版公開:2002/07、改訂版公開:2017/03/01
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