橋の上から川べりにつなかれた小さな船を眺める少年。その船には、友達の喜一が姉の銀子と母親の三人で暮らしています。小栗康平監督の映画『泥の河』の一シーンです。
小栗康平監督『泥の河』より (C)木村プロダクション
『泥の河』は、昭和52年に第13回太宰治賞を受賞した宮本輝氏の処女作となった小説です。川っぷちに建つ大衆食堂なには食堂の一人息子である信雄を主人公に、対岸につながれた船の家に住む姉弟との出会いと別れが描かれています。
小説は昭和56年に木村プロダクションと小栗康平監督の手によって映画化されました。モノクローム、スタンダードサイズという地味な手法ながらも、いまなお名作として語り継がれています。
原作の舞台は、戦災の焼け野原から復興して間もない昭和31年の大阪。中之島の西のはずれで土佐堀川と堂島川が合流し、安治川へと名前をかえて河口に向かう川の交差点。そんな場所の一角に架かる端建蔵橋を挟んで信雄の食堂と喜一の船の家はありました。
中川運河 小栗橋の上から「なには食堂」の跡地を望む
映画化に際しては、限られた制作資金や完成した作品を公開する目処が立たないなど、いくつもの困難があったといいます。なかでもロケ地の選定は、最大の課題でした。監督やスタッフが東奔西走して、ようやく中川運河という適地が見つかりました。デジタルを駆使して映像をつくる技術のなかった時代に、撮影時から30年も遡った昭和30年代初頭の川の面影を映像化しなければ、この物語が成立しなかったからです。
映画には、中川運河の他に都内を流れる運河も登場します。だから、観ていると河岸の景色や雰囲気に少し違和感があるシーンも混じっています。しかし、この中川運河と出演者の端正で優しい大阪弁なくして、昭和31年の大阪の川とそこに住まう人々を見事に描いたこの名作は生まれなかったでしょう。
土佐堀川 正面奥が端建蔵橋(アーチは併設された水管橋)
戦争が終って半世紀以上が経ち、大阪の川やまちも小綺麗になりました。原作の舞台だった土佐堀川の風景も大きく変貌を遂げています。端建蔵橋が架かるあたり川面には、阪神高速道路のランプウェイが大きな孤を描いていました。
かつて確かに存在したであろう『泥の河』の景色は、もう、まぼろしの風景となっていました。
■Memo
- 単品ではDVD化されていないため、接するチャンスの少ない映画です。機会があれば是非観てください。
- この映画にでてくる大人の役者さんの大阪弁は、きれいで柔らかいほんとうの大阪弁(なにわ言葉)です。吉本の汚い大阪弁もどきの言葉、あれは河内と和泉とどこか四国あたりの言葉をまぜくぜにしたよその言葉で、浪花の文化を冒涜した偽物です。
- 中川運河/名古屋市、土佐堀川/大阪市
- 撮影:2007/04、旧版公開:2007/04、改訂版公開:2017/02
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