(98) 人も渡れる鉄道橋 三江線 第一江川橋梁 江の川

営業最後の晩秋 草紅葉に彩られた浄土寺河原と第一江川橋梁
【2017/11撮影】

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周辺および橋上からみた第一江川橋梁通過の動画【2分27秒】

人も渡れる鉄道橋

「人と列車が並んで渡れる鉄道橋」といえば、淀川に架かる城東貨物線の赤川の鉄橋(赤川鉄橋)が有名でした。過去形なのは、歩行者や自転車が通行できる人道橋の赤川仮橋が2013年の秋に閉鎖されてしまったからです。鉄道営業法などの法令に抵触することなく合法的に歩行者も渡れる鉄道橋はいまや幻の橋となりました。ところが、江の川を渡るJR三江線の鉄橋にひとつだけ歩行者が渡れる橋があるのを空中写真で見つけ、先日渡ってきました。
ネット情報やマスコミを含めて、現段階(2017年春)ではまだあまり有名ではない模様です。

赤川の鉄橋は複線幅の鋼製トラス内で軌道と歩行者用仮橋が同居していました。
いっぽう三江線のこの第一江川橋梁は、単線幅のトラスの外側に歩行者用の幅約1.5mの通路が設けられています。

この歩行者用の通路は、鉄道橋業界の専門用語では「橋側歩道」と呼ばれています。橋側歩道は、通常、鉄道関係者が鉄橋の維持管理や線路の保守点検に使うもので、周辺住民など一般の通行は認められていません。

三江線の列車は、単行か2両の短い編成で運行されています。貨車を何十両も連ねたD52が牽く長い貨物列車が渡っていた赤川鉄橋にくらべて迫力がいまいちですが、この際、そんな贅沢は言っておれません。

単線なのに橋梁の幅が広く、しかも線路が橋梁の中心にではなく上流側にオフセットして敷かれています。その理由は、橋の両端付近で線路がカーブしており、カーブの始点(終点)が橋梁上に位置するためです。上空からみて、少し幅の広い橋桁に線路が「へ」の字の形に敷かれています。

現在はこの鉄道橋のすぐ近くに道路橋のあけぼの大橋が架かっていますが、以前はひと駅先の浜原駅近くにある浜原大橋まで大きく迂回しなければなりませんでした。この地に道路橋が架けられたのは1992年、平成になってからのことでした。

鉄道橋であるこの第一江川橋梁を人が通行できるのは、左岸にある野井集落の人たちが、右岸にある駅や役場、学校、商店などにいくためでしょう。おそらく昭和12年に国鉄三江線が浜原まで延伸開業した当時に鉄道橋を通行できるよう便宜が図られたものと思われます。

但しこの鉄橋は、「昭和47年7月豪雨」の大水によって1972年7月12日午前3時に流失してしまいました。その後、再建工事が行なわれ、昭和50年1月に歩行者用通路の付いた現在のトラス橋が完成しました。古い第一江川橋梁は5径間のガーダー橋でした。

流失した鉄橋を架け替えるために2年半近くの歳月と4億8千万円の工費を要しており、その間、明塚駅から粕淵駅間は不通になっています。

そのため1972年9月から翌73年9月の間は左岸の野井地区にに野井仮停車場が設けられるとともに、流された鉄道橋の代わりに渡船による代行輸送が行なわれていました。渡船の運航は現在の橋が完成するまでの臨時の措置ですが、たいへんめずらしいケースといえます。

この第一江川橋梁には、いろんな点で興味深い点が多く、少しずつですが情報を集め整理していきたいと思います。


■三江線の列車内からみた第一江川橋梁と渡っている人 【1分37秒】

・三次行きの下り列車の車内からみた第一江川橋梁通過の様子です。
・折良く地元の方が歩行者用通路を粕淵に向かって渡っておられました。


Memo
  • 江の川・島根県
  • 撮影:2017/05、2017/06、2017/11、2020/10
  • 公開:2017/05/28
  • 改訂:2017/05/29、2017/06/01(旧橋の画像を追加)、2017/06/13(不通区間の渡船連絡)、2017/06/19(旧橋に関する追記、建設時の画像追加、構成変更)、2017/06/24(旧橋の流失に追記)、2017/11/21(晩秋の画像を追加)、2018/04/11(廃線後の閉鎖について追記)、2020/10/03(廃線後の画像を追加)
  • 廃線が決まった赤字ローカル線ゆえに鉄橋の管理が行き届いていないようです。
  • 最新のペンキの塗り替えはなんと27年前で、歩道部の鋼鉄製の床板に腐食や穴があったりします。
  • 2018年春の廃線が近づき三江線ブームが過熱した場合は、何らかの規制がかかる可能性も考えられます。物好きな方はお急ぎください。
  • 三江線は2018年4月1日付で廃線となり、この第一江川橋梁の歩行者用通路も閉鎖されました。

むかしの第一江川橋梁

■第一江川橋梁(旧橋)の被災前と被災直後の状況

ネット上を捜していましたら、鉄道のある風景写真愛好家の方が1972年7月に流失する前と、被災直後の様子を画像で比較しながら公開されているサイトがありました。

撮影されたあきらさんから画像転載の許諾をいただきましたので、被災前の旧橋と被災直後の様子をご覧下さい。

旧橋の雪の日の様子 右端の通路に歩いた足跡がついています

被災直後の状況 橋脚1本を残して惨憺たる状況です

被災時の状況は凄まじい状態です。5連のガーダー桁と線路は流失、橋脚は中央部の1本を残して他の4本は折れて倒壊しています。

現地の河原には倒壊した旧橋脚の一部が45年経った今でも残されています。

転載元のサイト、三江線「昭和47年梅雨末期の集中豪雨での事」コチラです。【2019/07/06:撮影者あきらさんのサイトの再々移転にともないアドレス変更】

■流出した翌年の第一江川橋梁付近

流失後の第一江川橋梁

水害から10ヶ月が経過した1973年5月に撮影された空中写真です。川のなかにはまだ破損した旧橋の橋脚が残されています。

①野井仮停車場 ②第一江川橋梁(旧橋の橋脚) ③粕淵駅
④野井側の船着き場 ⑤粕淵側の船着き場
資料:国土地理院撮影の空中写真 MCG731X-C10-8 【1973年5月21日撮影】


■流失前の第一江川橋梁(旧橋)について

昭和47年に流失した旧橋について、現時点でわかったことを以下にまとめました。

  • 旧橋が架けられたのは昭和12年のことです。この鉄橋の完成によって、江津から江の川の左岸に沿って伸びてきた三江線は初めて江の川の右岸に渡りました。終点もそれまでの石見簗瀬駅から浜原駅へ延伸されました。
  • 浜原から上流への建設工事は、戦争や電源開発のためのダム建設にともない中断しました。工事が再開されたのは昭和41年で、昭和50年に浜原駅~口羽駅間が開通するまで、三江線(のちの三江北線)は江津駅~浜原駅間50.1㎞を営業区間として運行されました。
  • 旧橋の架橋工事の様子を記録した写真が橋梁メーカーの技術報告書の論文に掲載されていました。
第一江川橋梁(旧橋)架橋工事の様子
資料:菅井 衛「送り出し工法の変遷」、『宮地技報26号』、宮地エンジニアリング(株)、2012年11月
  • 掲載論文によると、架橋工事は径間36.4mのプレートガーダーに長い手延べ機取り付けて行なれました。このときの手延べ機には、当時一般的だったパイプ製ではなく、長い径間に対応できる剛性の高いトラス構造のものが使用されています。
  • 旧橋は橋脚が4本ある5径間のガーダー橋でした。中央部の3連の橋桁は両端部よりも長く、高さもある大きなものでした。
  • 写真などから判読すると、旧橋上の線路の平面形は右岸の粕淵駅側の1径間分だけはわずかにカーブしていましたが、その以外の区間は直線となっていました。
  • 現在の橋梁上の線路が左岸側でもカーブしているのは、改築時に川の流下能力を大きくするために堤防や橋台の位置が野井地区側に少し移動したためです。
  • 野井地区にお住まいの方によると、この旧橋は流失した昭和47年のほかに昭和40年にも橋の一部が一度流されたことがあるそうです。
  • 邑智町『邑智町誌』(下巻)によると、昭和40年7月、大雨で増水した江の川で浜原ダム貯水池に係留されていた水門修理用の艀舟が下流に流出して浜原大橋や第一江川橋梁に激突し、橋桁を破壊し流失させたと記載されています。
  • 昭和40年代の前半、保線作業員のための通路(教側歩道)は、現在と同じく下流側の線路脇に設けられていました。
  • 通路幅は現在よりも狭く、通路の外側(下流側)には転落防止の柵がありましたが、線路と通路を隔てる柵はありませんでした。通路の上から釣りをしたり、夏には飛び込み遊びをする子どももいたそうです。
  • また、昭和30年ごろより前は通路横の転落防止の柵もなく、枕木の上に道板を敷いた保線用の通路を渡っていたそうです。

鉄道代行の渡船

■不通区間の渡船連絡について

  • 昭和47年の水害では、第一江川橋梁だけでなく上流側の浜原駅前に架かっていた道路橋の浜原大橋も流失しました。
  • このため左岸の野井地区や隣の亀村地区の住民、ひと駅下流の明塚駅周辺の住民は、粕渕や浜原などまちの中心部のある右岸との交通路が途絶してしまいました。そのため、当時の邑智町によって渡船が運航されました。
  • 渡船を利用していた野井地区の住民の方々から伺ったところ、乗船客は地区の住民や三江線の乗客などたくさんいらしたとのことです。アユ漁などに使われる手漕ぎの小舟では一度に人数を運べないので、10~12人前後が乗船できる船外機のついた船が使われたそうです。
  • 渡船の運航に従事した船頭さんは2人いて、野井地区の家屋に寝泊まりして2人で交代しながら朝から晩ちかくまで両岸を行き来したということです。
  • 渡船の渡し場は、第一江川橋梁の少し下流側に設けられました。左岸側には、野井仮停車場から河原に降りて渡船場に至る小径が残っています。
  • また、右岸の船着き場は浄土寺から河原に降りたあたりで、そこは三江線が開通する前、江津との間に就航していたプロペラ船が発着した河港だった場所だそうです。
  • 美郷町立図書館に調べていただいたところ、邑智中学校の昭和48年度の卒業記念文集に船着き場の様子を撮影した写真が2カット掲載されていました。
  • 両岸の船着き場を結ぶ航路のおおよその位置を赤い点線で示しました。持参したボートを浮かべてみたところ、流れはたいへん穏やかですが風の影響を受けやすい場所のようで、流れの状況や風向きによって経路が多少異なるかもしれません。

代行渡船の航路と渡船場の置かれていた河岸

  • 渡船の運航状況を把握しようと思い、美郷町役場や図書館を訪問して当時の記録や資料を捜しました。しかし、45年も昔のことであり災害復旧で混乱していたこと、町村合併などを経ているため当時の資料は見つかりませんでした。現時点では、渡船連絡が行なわれていた期間や便数、乗客数などの詳細は掴めていません。
  • 1973年5月の時刻表によると、三江北線で運行されていた列車は上下各9本です。そのうち終点の野井仮停車場まで乗り入れていたのは朝8時台の1往復と夕方17時台の1往復だけで、残りは明塚駅での折り返しが6本、石見川本駅で折り返しが1本となっていました。
  • 同時刻表には、「石見簗瀬と浜原の間には連絡バスを運転している」との記載があります。
  • 代行バスは国鉄バスによって2年半に渡って運行され、当時、石見川本にあった川本自動車営業所が担当していました。
  • 代行バスの運行が野井仮停車場や明塚駅ではなく石見簗瀬駅から行なわれたのは、道が狭くて明塚駅前に大型バスが進入できなかったこと、明塚駅付近には江の川を渡る道路橋がなかったこと、石見簗瀬駅は浜原延伸までの三江線の終着駅であり駅の施設が充実していたことなどが関係しています。
  • 三江線乗客のうち不通区間で渡船連絡を利用したのは、野井仮停車場まで運行された朝夕の2往復の列車を利用した通勤客や通学する生徒などに限られていた可能性もあります。

運航当時の渡船の状況を教えてくださった野井地区の方々、運航時の写真や資料を捜していただいた美郷町立図書館にお礼申し上げます。

廃線後の第一橋梁

■廃線から2年半が経過
2018年4月1日付けで、三江線は全線が廃止されました。
営業運転最終日の31日夜、最終列車が通過した直後に、橋梁や踏切、駅舎などはすべて封鎖され、立ち入りや通行ができなくなったとのことです。歩行者用通路を併せ持つこの第一江川橋梁も、両岸の二箇所に鉄パイプを組んだ侵入防止柵が設置され、「立入禁止」と記されたプレートが付けられました。廃線から2年半が経過した2020年10月、三瓶山に登った帰りに第一橋梁の様子を見に立ち寄ってみました。

廃線後は封鎖された鉄橋と歩行者用通路

鉄橋のトラスや線路は、まだ撤去されずに残されていました。しかし、最後の塗装から約30年が経過し、保守管理がされなくなった鉄橋は、比較的状態の良かったトラスの粕淵側の面にも錆がすすんでいます。

訪れた時、雲が低く垂れ込めていたことも重なり、三江線営業時に比べて、随分荒れ果てた印象をうけました。

粕淵から第一橋梁への通路粕淵から第一橋梁へ通じる歩行者用通路

粕淵駅から鉄橋に至る歩行者通路は、枯れ草が散乱していて、背丈ほどに伸びていた両脇の草が刈り払われた痕跡がありました。多少管理されているようですが、橋が通行できた当時に比べてやはり荒廃しています。

伸びた竹や蔓草に覆われる鉄橋鉄橋下から伸びてきた竹がトラス内に侵入している

鉄橋も鉄橋近くの線路も、伸び放題の蔓草や竹に覆われ始めています。耕作が放棄され山野に帰りつつある限界集落の農地とイメージが重なります。

廃線から2年半しか経過していませんが、荒廃した様子からは、この鉄橋を列車が走り、橋側の歩行者通路を粕淵のまちに出かける地元の人達が行き来していたのは、ずっと昔のことのようにも思えました。

廃線後の第一江川橋梁線路は赤く錆び小動物の白骨が残されていた

美郷町の観光協会が同居していた粕淵駅の駅舎は残っていますが、粕淵駅のホームにあった待合室は解体されています。

線路沿いの道路を川本の方に下ってみました。何箇所かあった踏切の箇所のレールは両端で切断されて、交差部の道路が切り下げられています。浜原開通までの三江北線のかつての終着駅であり、第一江川橋梁が流されて鉄道交通が途絶したときの代行バスの起終点でもあった石見簗瀬駅も駅舎が解体・撤去されて更地になっていました。

もう、列車も人も第一江川橋梁を渡ることは二度とないでしょう。


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