福知山線のこと(1)ローカル線だったころ

福知山線は、東海道本線の尼崎駅から北に分岐し、宝塚、三田、篠山口、谷川の各駅を経て、山陰本線の福知山駅に至る長さ100㎞あまりの路線である。2005年4月に発生した脱線転覆事故で全国的に有名になってしまった。

現在では全線電化されていて、JR西日本のアーバンネットワークの一翼を担っている。篠山口以南は複線化されて『JR宝塚線』とも呼ばれる。1日の運転本数は360本を超え、三田市や篠山市方面から大阪や神戸への通勤・通学に利用されている。

1960年代の福知山線営業路線図1960年代の福知山線営業路線図(交通公社時刻表 1965年4月号)
現在と異なり篠山線(篠山口-福住)、尼崎港線(尼崎港-尼崎)があった

1960年代の後半、旧国鉄時代の福知山線には今から想像もつかないほど、のどかな雰囲気が漂っていた。尼崎と塚口間を除いてほぼ全線が未電化の単線だった。普通列車の運行頻度は1時間から1時間半に1本と少なく、4~6両編成のディーゼルカーやディーゼル機関車に引かれた茶色の古めかしい客車がガタンゴトンと走るローカル線だった。
のっけから不躾な話で恐縮だが、線路際には客車から落された排泄物や紙が散らばっていることもあり、線路際での写真撮影はある意味、命がけだった。大阪の近郊ではあったが、高度経済成長をとげスピードアップする時代からは完全に取り残された別世界のようでもあった。

そのいっぽうで、大阪と山陰地方を結ぶメインルートの役割を果たしていたので、特急や急行などの長距離列車もたくさん走っていた。

当時、国鉄は動力車の近代化、蒸気機関車の全廃を進めていたが、ときおり西風にのって汽車の長い汽笛が聞こえてきた。

汽笛の音に誘われて自転車に乗って川西池田駅に見に行ってみると、貨車の入替えをしているD51がいた。駅員さんに聞いてみると、旅客列車と貨物列車の一部は、まだ蒸気機関車が牽いていることがわかった。

こうしてハーフサイズのカメラを携えての福知山線通いがはじまった。SLブームが本格化する1~2年前のことである。

【次は】川西池田駅 冬の朝 – takaginotamago


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