当時、福知山線では蒸気機関車からディーゼル機関車への転換がほぼ完了しつつあった。 蒸気機関車が牽くこの列車の運行は少し変則的だった。理由はよく知らないが、福知山と大阪の間を2泊3日の仕業で往復していた。 上下各1本のうち大阪近郊で写真を撮ることができるのは、朝7時22分に篠山口を出発する上り列車だけ。下り列車は夜、暗くなってから大阪駅を発車するので、使っていたカメラ(オリンパスペンEE)では暗過ぎてシャッターを切ることができなかった。 上り1726列車を撮るために日曜日になるとよく出かけたのは、宝塚のひとつ先にある生瀬駅である。上り方向にも下り方向にも採石場の崩れた山が見えるローカル色の濃い山あいの駅だった。 冬、早朝のディーゼルカーに乗って着いた生瀬は寒かった。お目当ての上り列車の到着は7時28分で、それまで1時間ほど待たねければならない。冷え切った待合室にいると駅員さんがストーブのある駅員室に招き入れてくれ、なかで暖かいお茶をよばれた。辺鄙な駅にやってきて蒸気機関車を撮る子どもが珍しかったのかして、駅のみなさんはとても親切だった。待ち時間のあいだにダイヤのことや閉塞方式のこと、線路を横断するときの指差確認の仕方なども教わった。 電話のベルが鳴り上り列車の到着時刻が近づくと、助役さんと一緒にホームのはずれで列車を待った。この駅で下り特急まつかぜと列車交換をするので4分間停車する。特急通過時に事故が起きないようにという配慮であろう。 このサイトにあるすべての写真と文には著作権があります。無断転載はお断りします。
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