宮原のいつもの場所で
宮原機関区お手製のヘッドマークと紅白のリボンで飾られた最終日のC57128。
「C57よ 永い間ご苦労様 今日でお別れです 宮原機関區」
【1968年3月 撮影】
最後の下りに備えて
火床が整えられ石炭が燃えている。
【1968年3月 撮影】
通い慣れた宮原の転車台
定期運行としては今日が最後になる宮原のターンテーブル。
あと数時間で下りの出発時刻が近づいてくる。
【1968年3月 撮影】
夕方に大阪駅を発車する下り列車は見に行かなかった。
翌日の新聞には、小さな記事が載っていた。記事によれば、大阪駅を発着する蒸気機関車が牽く定期列車としては最後の列車であること、94年間に及んだ蒸気機関車の幕が閉じられたことが記されていた。
鉄道友の会などファンの人たちが大勢集まり、会長のお嬢さんから下り列車の機関士に花束を贈呈し長年の労がねぎらわれたという。
無煙化後のある日
5月、煙が消えて1ケ月あまり。後釜のDD54に牽かれた列車が小雨のなか生瀬駅に到着。
【1968年5月 撮影】