1968年の3月に定期客車列車が無煙化されてからも福知山線には蒸気機関車の煙が残っていた。『惣川の工臨』と呼ばれる工事用臨時列車、貨物列車の一部、それに行楽期に大阪から三田や山陰地方との間で運転された臨時の客車列車などであった。 『惣川の工臨』は線路に敷くバラスなどを運搬する工事用の貨物列車である。無蓋貨車やホッパー車に積まれた採石のほかに、宝塚の武庫川の河畔にあったウヰルキンソンの工場で瓶詰めされた炭酸水も有蓋貨車で運んでいたという。 工臨は吹田操車場と生瀬駅間で1日に2往復運行されていた。牽引する機関車は吹田第一機関区のD51が担当していた。経路は吹田から東海道本線と北方貨物線を経由して福知山線に入り、貨物ヤードのあった川西池田駅を中継点にして、積み込み用の砂利線が設けられていた宝塚駅の北側の惣川や生瀬駅との間を行き来していた。 土曜日でも学校があったので、午前中の1往復はあまり見に行ったことがない。早朝に吹田をでた下り列車は、空車の貨車を惣川や生瀬に運んで砂利線に留置したのち、上りはワフを従えて昼前に吹田に引き上げたという。 ※坂本 衛:「惣川の工臨」 鉄道模型趣味 NO.245 pp.746-750 【1968/11】 このサイトにあるすべての写真と文には著作権があります。無断転載はお断りします。
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