福知山線のこと(6) C11やC57が牽く臨時列車

福知山線の沿線には、サクラや紅葉の名所、城下町として知られた篠山、ハイキングなどの行楽地がいくつかあった。
1960年代の後半、まだマイカーはそれほど普及しておらず、鉄道が観光や行楽にでかける庶民の足としての役割を担っていた。春や秋の行楽シーズンの日曜日や祝日には、大阪と三田や篠山口の間に行楽客を乗せた臨時列車が運行されていた。

春のサクラのシーズンに大阪と三田間に運転されていた臨時列車は、吹田第一機関区所属のC11が担当していた。折り返し地点の三田駅には転車台がなかったので、復路は逆行運転となる。テンダーがあって視界の悪くなる大型機よりもタンク型のC11のほうが適していたからであろう。
6連もの客車を従えて、武庫川渓谷に沿った10‰をやや苦しそうに登るC11の姿は今でもよく覚えている。

1968年3月に定期旅客列車の牽引機がC57からDD54に交代したあとも、福知山線には蒸気機関車の活躍する機会が残されていた。

期待された新鋭機のDD54に故障が頻発したからである。当時の福知山機関区には予備のディーゼル機関車がなかった。

また、臨時の旅客列車には、三田や篠山口までの比較的短距離の列車のほかに、海水浴客や修学旅行生を乗せて大阪と山陰方面を結ぶ列車もあった。こうした臨時列車の運行時やディーゼル機関車が修理のために使用できないときは、一度退役したはずの蒸気機関車が再雇用され出番が回ってきた。

そんな事情もあって、予備のディーゼル機関車が配備され、運用が安定する1972年ごろまでは、老兵C57が福知山線を走る姿がときおり見られたという。


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