動力車の近代化がすすんで福知山線から蒸気機関車の姿が消えようとするころ、旅客列車や貨物列車を牽引したディーゼル機関車です。
当時の福知山線には、福知山機関区所属のDF50とDD54、吹田第一のDD51とDD13、あわせて4型式のディーゼル機関車が走っていました。無煙化されたとは言え、ディーゼル機関車もけっこう盛大に黒い排ガスを出していました。とくに当時最新鋭のDD54は煤けてボディの一部が真っ黒になっていたときもありました。
DF50は地味な外観ながら旅客列車も貨物列車も牽く万能選手で、いわば福知山線の主のような存在でした。
国鉄宝塚駅に接する国道176号は、バスやダンプも入り混じって多くの車が行き交う都会です。いっぽう枕木の柵に隔てられた福知山線は、のんびりとした空気の漂う別世界でした。
福知山を04:57に出発し、3時間半ほどかけて大阪に向かう734レだと思います。
天神川トンネルを抜けたところに踏切があり、沿線には造園業者の温室や苗畑がひろがっていました。
閑散とした昼下がりの川西池田駅です。おそらく鳥取発大阪行きの722レだと思います。
川西池田~中山寺駅間を走る下り貨物列車。
ダンプカーが走っている画面左端の道は国道176号で、ガードレールや歩道はありません。国道脇に沿って「はえ叩き」が並んでいます。
川西池田~中山寺駅間、収穫が終り稲藁の積まれた田んぼの脇を走る下りの普通列車です。DD54の機番はわかりませんが、ヘッドライトが窓上についているので試作機1~3号のいずれかです。
当時、DD54はまだ本格的な量産体制にはいっていなかったからか、見かける機会は案外少なかったです。排気ガスの煤が多いのかして車体は汚れていました。

三田や篠山口折り返しの短距離の普通列車は吹田のC11が牽いていましたが、1967年以降はDD51に置換えられました。中山寺~川西池田駅間。
川西池田を出発する尼崎港行きの混合列車 DD13199
駅のはずれにある転轍機操作員詰所の前をとおり、尼崎港駅に向かう尼崎港線の普通列車824レです。尼崎港線は朝と夕方の1日2往復運行されており、夕方の上りは川西池田16:15発、尼崎港16:50着でした。
DD13は構内などでの車輌入替用に開発された機関車ですので、客車用の暖房装置がついていません。最後尾につながっている客車には暖房がなく、冬場は相当寒かったでしょう。
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