■INDEX【シリーズ№順】
以下は記事のシリーズ№順、制作した日付の古いものから順に配列した目次です。
公開した日付の新しいものから配列した目次は、こちらの記事一覧をご覧下さい。
また、各記事でとりあげた地物の所在地については、こちらの MAPS 大阪のこと に位置を示した地図があります。
№01~10 / №11~20 / №21~30 / №31~40 / №41~50 /
(02)四つ橋
(03)大正橋
(04)阪急京都線 淀川橋梁
(05)毛馬の閘門
(06)中津川と鼠島 地図から消えた川と島(1)
(07)中津川と鼠島 地図から消えた川と島(2)
(08)中津川と鼠島 地図から消えた川と島(3)
(09)中津川と鼠島 地図から消えた川と島(4)
(10)中津川と鼠島 地図から消えた川と島(5)
(12)正蓮寺川の造船所
(13)大阪市電守口線 大宮町停留所
(14)大阪市電の旅 梅田新道から三宝車庫まで
(15)大阪市電の最後
(16)終着駅 湊町
(17)阪神高速道路 開業のころ
(18)大阪空港ターミナルビル
(19)島熊山の一本松
(20)島熊山の山名と位置について(1)
(22)島熊山の山名と位置について(3)
(23)豊中倶楽部とたこ焼き屋
(24)書肆青泉社と木村英造さん
(25)高橋和巳と豊津アパート
(26)吹田第一機関区
(27)永楽荘から見えた山
(28)ずっと最下位の阪神なんば線淀川橋梁
(29)千里ニュータウンへの入口を示すゲート標識
(30)万博のころ EXPO’70駐車場事情
(31)万博のころ EXPO’70 象のお宿
(32)万博のころ EXPO’70 リハーサル
(33)万博のころ EXPO’70 観客の鉄道輸送
(34)南千里駅前の機械式地下駐輪場
(35)ハイウェイ時代の到来 開通直後の名神高速
(36)謎のトロッコ列車
(37)1960年代初期の淀川 三川合流点のあたり
(38)鉾流橋
(39)しじみ橋のレリーフ碑
(40)梅田貨物駅と蒸気機関車D62
(41)大阪大空襲と長柄橋の弾痕
(42)淀川の空を飛んだ滑空機
(43)初代大坂船奉行所跡
(44)淀川の戦い_水害の記録写真に重ねられた奇妙な「sample」の文字
(45)対岸の火事
(46)中之島の空と川(その1)
(47)中之島の空と川(その2)
(48)中之島の空と川(その3)
(49)赤川の鉄橋
このカテゴリーについて
このカテゴリーには、ちょっと昔、昭和のころの大阪に関するコンテンツを集めています。
大阪を離れてから四半世紀になりますので、最近のことはよく知りません。ですが、大阪は生まれ育った地であり、父祖の地でもありますので、ちょっと昔のことならある程度知ってるつもりです。
最近の大阪にはかつての元気がありません。たまに帰省すると都心のターミナル周辺は小綺麗になりましたがミニ東京みたいでもあり、市内や郊外の町の風景からも大阪らしさがなんとなく薄らいできたように思います。とくに市内の町中は、原色の看板が氾濫し、自転車の人が好き勝手に走りまわり、所構わず駐輪するのでゴチャゴチャした汚い町になりました。人の変化が町の風景を変えたのか、あるいは町の変化とともに大阪の人間も変わったのか、どちらかは知りません。なにか事件や事故があると、ネットでは「また大阪か・・・」「大阪人は・・・」といった感じで、大阪と大阪人の評判はあまりよくないようです。まぁ、よその人には大阪と関西の区別がつかないようですし、大阪に住んだことのないよその人の評価はあまり気にしないでおきましょう。このカテゴリーがかつての大阪のことを思い出し、大阪の景色や大阪人のよさを見直すきっかけになればと思います。
補 足
このカテゴリーの作成を思い立ったのは、父【1919-2001】が昭和の後半に撮影した大阪の写真が手元にあるからです。父は戦前から写真を撮っており、出征時には戦地にもカメラを持っていったようです。戦前と戦時中のフィルムは、フィルムベースの素材の関係で自然発火の危険もあるので、ずっと以前に処分したようです。家には戦後しばらくした1950年ごろから、目を患って写真を辞めるまでの約45年間に写した写真のフィルムが残っていました。
フィルムのうち1960(昭和35)年ごろまでの撮影分はブローニー版で、それ以降のものは35ミリサイズです。どちらも経年劣化による痛みやビネガーシンドロームが心配な時期でしたので、35ミリサイズはフィルムスキャナーでデジタル化しました。ブローニーは手持ちの機器ではフィルムスキャンができないので原版のまま保管しています。
写真の約半分は仕事で使う素材や資料用のもので、残りの約半分が大阪とその周辺地域の日常の風景などを撮ったものです。それらの写真は、写真愛好家の撮るまちや人物のスナップ写真、あるいは芸術的な写真ではなく、客観的な記録としての写真でした。おそらく、文章と一緒に何らかの形で出版物などに使うことを意図して撮られたものでしょう。写真の一部は生前に郷土誌などに本人が寄稿したときに使用しており、また、一部は没後に民俗学の写真集に掲載していただきました。日常の風景を収めた記録としての資料的な価値がありそうな未公開のカットもあるので、かねてから活用の方法を探っておりました。
残された写真の存在がわかったのは没後のことです。そんな訳で撮影年や撮影場所の特定、撮影目的の推定にはかなり手間取りました。整理が一段落付き、資料的価値のありそうなカットを使用して、写真に関連したコメントをつけてご覧にいただけるようにしたのがこのカテゴリーの記事です。なかには撮影の意図と後付けした文の方向が、一致していないものがあるかもしれませんがご容赦ください。
ご覧いただいた写真や写真説明文に誤認や誤記などお気づきの点がありましたら、コチラからご連絡いただければ幸いです。