市電守口線と大宮町停留所
電車というものは・・・
最盛期の大阪市電路線図 氷鷺氏作成(大宮町電停を追記)
子どものころを過ごしたのは旭区大宮西之町である。家から一番近い市電の停留所は、城北公園通りにあった都島守口線の大宮町だった。
江野川沿いに歩いて5分のところにある大宮町の電停から市電に乗れば、大阪市内に張り巡らされた路線網を伝ってたいがいの場所に行けた。電車というのはしょっちゅう走っている便利な乗り物で、乗り遅れても電停で待っていれば、すぐに次々と電車がやって来た。
とりあえず駅に行くという電車の乗り方は大人になってからでも同じで、梅田に行くときも、新幹線で東京行くときもとりあえず駅に行く。阪急も新幹線も5分~10分ごとに走っているので、時刻を調べてから乗るという乗り方はすごい違和感がある。
今は大阪を離れて田舎住まいをしている。駅は歩いて3分ほどのところにあるが、ローカル線なので1日に数えるほどしか走っていない。電車に乗る時は予め列車の発車時刻を調べておかないといけない。が、そういう田舎を走るローカル線の電車の乗り方にはいまだに慣れない。
タイミングが悪かったり、途中駅の乗り換えなどで1時間も待ちぼうけをくらうことがときどきある。そんなときは「電車のくせになんでやねん!」と憤りがこみ上げてくる。
大阪市電3001型
大宮町電停付近に並ぶ2両の3001型【1967年 撮影】
旭区には家族ぐるみで親しくしていた隣家があり、豊中に引っ越してからもしょっちゅう遊びに行っていた。水都祭の花火大会や大宮神社のお祭りのときには、何日か泊めてもらったりしていた。この写真もそんな折りに写したもので、撮影は1967年、守口線などの市電が全廃される2年前の風景である。
写真には軌道に平行する架線のほかに、斜めにクロスするように張られた1本の架線(右上の赤い矢印)がかろうじて写っている。大宮町には渡り線があり、下り線から上り線へ折り返しのできる停留所だった。
並んで写っている2両は、守口から来て大宮町の電停に近づく市電(右)と、大宮町で折り返す直前の市電(左)である。右は3033号、臨時の都島車庫前行き。左は3050号、大宮町で折り返したのち12系統川口町行きになる。都島本通・京阪東口・長堀通りを経由して淀屋橋や西区の川口町までこの1本で行くことができた。
2両ともいつも乗っていてよく見慣れた大阪市電の最終型3001型で、高加減速、防音、防振を誇る高性能車であった。3001型は1956年に3001~3050号の50両が製造された。左側のは大阪市電のラストナンバーとなった3050号である。
3001型は、1969年3月末の市電全廃までの20年余り、雨の日も風の日も走り続け、市民の足としてよく働いた。年々増え続けるクルマに囲まれて、せっかくの高性能車もノロノロとしか走れず、最後は邪魔者扱いされて肩身の狭い思いをしたようである。
城北通りから大阪市電が消えてまもなく半世紀になる。ラストナンバーの3050号は、現在でも大阪市住之江区の緑木検車区内にある市電保存館に保存されている。
44年後の大宮町電停付近【2011年 撮影】
線路はなくなり中央分離帯ができている
空が広い城北公園通りの独特の雰囲気はあまり変わっていない
左側の歩道にある公衆電話ボックスやその前の医院は昔も今も同じ場所にある
背景に写っている城北公園通りの篠原医院の建物やその前の公衆電話ボックスは、姿は変わっているけど今でも同じ場所にある。駅や店先になどに置かれていた公衆電話は大半がなくなってしまったが、公衆電話ボックスは長生きである。この電話ボックスが長寿なのは、目の前にある篠原医院による健康管理が行き届いているおかげかもしれない。
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