1号環状線 土佐堀-なんば 開通
土佐堀入口の料金所にさしかかるセドリックのタクシー【1964年 撮影】
1964(昭和39)年6月28日、大阪に初めての都市高速道路が開通した。
オリンピックが開催される東京では、1962(昭和37)年12月に首都高速道路初の路線として京橋-芝浦間が開通し、1964年秋のオリンピック開催を控えて都心環状線や羽田線の建設工事が急ピッチで進められていた。
1963年の7月には、名神高速道路の栗東IC-尼崎IC間71.1kmが開通し、翌64年の9月には一宮IC-西宮IC間が全通している。モータリゼーションの急速な進展を背景に、都市間でも都市内でも高速道路の時代がはじまりつつあった。
阪神高速道路の1号環状線は、ほとんどの区間が大阪市内を流れていた川や堀川の上部空間を利用したルートで建設された。用地の取得が不要であり、安上がりで手っ取り早いからである。環状線は時計回りの周回路で、東横堀川の上空を通る東側では南行きの一方通行、西側の西横堀川跡の区間では北行きの一方通行となっている。
ただし開業当時、まだ環状線は全通しておらず、最初は西横堀川を埋立てた土佐堀から湊町(当時は「なんば」と表記された)までの区間開通であった。
西横堀川を埋立てて開通した区間は、今の環状線とは逆方向の南行き一方通行だった。開業当初、南行きの一方通行になった理由として、「北行きにした場合、高速から降りた車が大阪駅の周辺に集中し、混雑の激しい大阪駅前がさらに渋滞する」として大阪府警が難色を示したためと阪神高速道路㈱のサイトには記されている。
阪神高速道路㈱がネットに公開しているアルバムをみると、環状線の土佐堀出口ランプ分岐の少し南側の本線上で開通式典が行なわれている。その場所は高速道路が建設される前、西横堀川に架かっていた筋違橋のあたりである。開通当日はあいにくの空模様だったようだが、傘を手にした関係者らがテープカットを行なっている。
冒頭に掲げた写真は父が撮影したもので、開通してまもないころの土佐堀入口付近の様子が写されている。
ツートンカラーに塗られたタクシーがちょうど料金所にさしかかっている。車は1960年に発売された初代の日産セドリックである。セドリックは、その後10代にわたってモデルチェンジを受けた日産の看板車種でもあった。タクシー用のセドリックは半世紀以上にわたって生産されたが、いまはもう日産のラインアップから消えてしまった。
左前方の高架橋脚横には、開通を祝う大きな看板が掲げられている。
縦書きの2行のうち右側には「阪神高速道路大阪市道高速道路」と記され、左の行はちょうど柱の陰になって文字が見えにくくなっている。少し調べてみると「一号線(土佐堀-なんば間)」と書かれていることがわかった。
最初に開通した区間の南端の出口は、関西本線の湊町駅北側で、現在の湊町ランプのあたりである。のちにまとめられた公式記録などには「土佐堀-湊町間」と書かれていることが多いが、開通時の看板には「湊町」ではなく「なんば」となっている点が興味深い。この看板だけではなく、開通時に阪神高速道路公団が発行した優待通行券にも「土佐堀→四つ橋→なんば」と記されている。
正確に言えば、湊町となんばは少し離れた別の場所なので、湊町に変わったのにはなんらかの理由があるのだろう。
通行料金について簡単に記すと、開通当時は普通車が50円、大型車が100円だった。普通車の通行料は1967年6月の環状線全通時に100円になり、さらにその年の夏には150円に値上げされた。
その後、50円単位で何回も値上げが繰り返され、料金が500円を超えてからは値上げ幅も大雑把になり100円単位に変わった。1999年には均一料金としては最高の700円まで上がった。
いっぽう、高速道路網の拡大に伴って利用区間の長短による不均衡も生じるようになった。近くも遠くも同じ料金という不公平感を是正するため、ETCの普及などを契機に2012年からは現在の距離制の料金体系に改訂された。
最後に料金所周辺の様子にふれておく。
料金所の右手前では石原ビルの建設工事が始まっている。その少し南側ではビル名はわからないが間組によって工事が進んでいた高層ビルの骨組みができつつある。阪神高速開業のころは、ちょうどビルの建設ラッシュの時期でもあった。
半世紀が経過した現在、当時建設されていた2つのビルは既に解体され、代が改まってそれぞれ新しい超高層ビルに姿を変えている。
いっぽう阪神高速の高架道路は、依然として建設当時の姿のままで健在である。耐震補強などで何回か改修工事が施されているはずだが、基本はむかしのままである。半世紀以上にわたって通行車輌の振動を受け続けているので、おそらくあちこちにガタが生じているのではないだろうか。ある日突然、ポキリと折れたりしないか少し心配ではある。
11号空港線 中之島を挟んだ2つのS字橋
阪神高速11号空港線は、1号環状線の土佐堀出口付近から西に分岐して中之島を横断し、福島から名神高速豊中ICを経て大阪国際空港(伊丹空港)に至る路線である。環状線に接続する路線の南端付近には、出入橋出口、中之島入口、梅田出入口が設けられ、大阪のキタから阪神高速を利用する際のアクセスルートしても機能している。
現在は空港から猪名川に沿って北に延伸され、池田市の五月山西麓の木部まで達している。路線名も1989年に「空港線」から「池田線」に改称されているが、ここでは開業当時の空港線の名を使用する。
環状線から分岐した空港線には、中之島を挟んで土佐堀川と堂島川に2つのS字形の橋が架けられている。上空から高速道路を眺めるとS字カーブがふたつ続く珍しい線形となっている。
空港線の建設に際して、なぜこのような複雑で珍妙ともいえるルートが採用されたのか?
それは先にも書いたように、大阪市内を通る阪神高速の主要区間は川や堀川の上部空間を利用して建設されたことと関係している。
大阪の川と堀川【明治中期】
この図は、このサイトの「心斎橋」のページに掲げた大阪の川と堀川の図の一部を再掲したものである。
西横堀川を埋立てて建設された環状線(北行き)から分岐した空港線は、土佐堀川・中之島堀川・堂島川・堂島堀割川をつなぐルートで北西へと向かう。川や堀川が直交していた箇所に3車線の道路を設けたので左や右に急カーブが連続し、中之島を挟んで南と北にふたつのS字カーブが生まれたというわけである。
環状線から空港方面に向かう場合、分岐点からすぐの土佐堀川の手前で左にカーブして錦橋の南詰上空をかすめたのち、肥後橋上空を西側に通過する。次いで右カーブを描いて土佐堀川を渡り、朝日新聞ビルの4階付近を突き抜けて中之島を横断する。中之島の南側を流れている土佐堀川を渡るこの区間にひとつ目のS字橋が架けられている。

高架橋梁ができているのは最初の左カーブの一部で橋桁の右奥には
初代の朝日新聞ビル【1916-1965】の時計塔が見える

背後の朝日新聞ビルは空港線とほぼ同時期の1968年の竣工
通りかかった女性は淀屋橋界隈で集金を終えて新地に戻るママさんだろうか?
土佐堀川を渡る延長192.8mの高架橋梁は、当時、日本で初めての「3径間連続鋼床版曲線桁」という構造形式が採用された。まだコンピュータが一般化していない時代だったので、模型をつくって応力を解析したり機械式の計算機を回して複雑な構造計算を行なうなど、実現までにずいぶんと苦労があったという。
土佐堀川に架かる肥後橋と空港線のS字橋【1993年撮影】
見えているのはS字カーブの後半部で朝日新聞ビル【1968-2013】の
西端部を貫通して中之島を横断し堂島川に向かう
空港線の道路脇に設置されている標識をみると最初の左カーブは曲率半径 R=105、後半の右カーブはR=84で、ともに高速道路としてはかなりの急カーブとなっている。
なお、朝日新聞ビルは、中之島フェスティバルタワー・ウエストへの建て替えにともない2014年までに大部分が解体・撤去された。但し、空港線がビルを貫通していた西端部のうち高速道路より上層階は解体・撤去されたが、高速道路の下層階は建物が高架道路を支える構造のため耐震補強をして残された。現在、高速道路はビルの屋上を通過する高架構造になっている。
朝日新聞ビルを通り抜けて中之島を横断した空港線は、今度は堂島川の上空で左にカーブしたのち右に反転して右岸に渡っている。この区間がふたつ目のS字橋である。堂島川を渡り終えたのち、堂島堀割川跡の上空を出入橋方向へと北上している。

このように空港線のルートは、土佐堀川と堂島川を2つのS字橋で渡っている。空港線が建設された当時、このような長大なS字橋の建設は初めてのことであり、橋梁建設に携わる技術者の間では画期的な橋として語り継がれている。

堂島川に沿った手前が空港線南行き、渡辺橋の向こうが北行きのS字橋梁
まだ空港まで全通していないので通行量は比較的少ない
空港線は1969年の大阪国際空港新ターミナルビル竣工や1970年春の万博開催に合わせるべく、いくつかの区間に分割して段階的に整備がすすんだ。開通までの道のりは次のとおりである。
- 1964年11月12日 : 土佐堀 – 出入橋(南行き一方)が開通。
- 1965年12月12日 : 梅田 – 土佐堀(南行き一方)が開通。
- 1967年03月10日:1号環状線が全通。
- 1967年08月29日 : 福島 – 豊中北が開通。
- 1967年10月26日 : 中之島 – 福島が開通。
- 1969年02月01日 : 豊中北 – 大阪空港が開通。
- 1970年03月14日 : 大阪空港 – 池田が開通。
- 1970年03月15日:大阪万博が開会。
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