両岸の堤防に開口部がある淀川最下位の阪神橋梁
阪神電鉄なんば線の淀川橋梁は、淀川の河口から約3km遡った地点に架けられている。淀川に架かる鉄道橋としては最下流に位置しており、全長は758mもある。
ただし、すぐ下流側の西隣には国道43号の伝法大橋と新伝法大橋が架けられているので最下流の橋ではないが、淀川に架かる橋のなかでは大阪湾に最も近い橋のひとつである。

毛馬から西に延びる新淀川が開削されたのは1909(明治42)年のことで、阪神の淀川橋梁はその15年あとの1924(大正13)年に架橋された。淀川に架かる橋のなかでもかなり古い橋である。
架橋時は千鳥橋と大物(だいもつ)を結ぶ阪神伝法支線の橋梁だった。その後、橋を通る阪神の路線名は、1964(昭和39)年の西九条延伸にともない西大阪線となり、さらに2009年のなんば乗り入れにともない阪神なんば線へと変わった。
最寄りの駅として、左岸側には堤防から約150mのところに伝法駅、右岸側には約500mのところに福駅が設けられている。

架線柱は交換されているが橋脚や橋桁は現在もこの当時のまま
この橋の最大の特徴は、淀川の水面から橋桁の下縁までの高さが淀川で一番低いこと、つまり淀川で「最下位の橋」である。架けられてから90年以上になるが、ずっと最下位である。阪神電車が通っているが、いつも低迷気味な阪神タイガースとはとくに関係はない。
架橋年代が古いため一つ一つの橋桁は短く、橋には39本もの橋脚がある。船を通すため中央部の6径間だけはトラス構造で、両側よりもすこしだけ桁下が高く、橋脚の間隔も長い。両側は橋脚が林立したガーダー橋で、橋桁は水面のすぐ上に架かっている。

中央の6径間はトラス橋で船を通すために両側よりもすこしだけ桁が高い
この付近の淀川の水位は、大阪湾の潮位の影響を受け、干満差によって普段は1.5m前後の上下動を繰り返している。
この橋の高さがどれぐらい低いか、数値を掲げて具体的に話す前に、高さの基準となる「O.P.」についてふれておかねばならない。
O.P.とは大阪湾の最低潮位のことである。オランダ語の “Osaka Peil” の頭文字をとってO.P.と呼んでいる。最低潮位を示すO.P.は、橋梁や堤防などをつくるときの基準面でもある。このO.P.は東京湾の基準面T.P.よりも1.30m低いので、両者を混用するとややこしくなる。高さを示した図面などでは、O.P.もしくはT.P.どちらの基準面を採用しているのかを表記するきまりとなっている。
淀川橋梁の現在の桁下高はO.P.+4.28m、すなわちO.P.から4.28mの高さしかない。この高さは、大阪湾の高潮対策で設定している計画高潮位O.P.+5.20mよりも約90㎝低い。
つまり、防災計画で想定している最大規模の高潮に見舞われた場合、無風の状態であっても橋桁の約半分は水面下に沈んでしまうことになる。実際には風や湾奥の地形による数メートルの波が生じるので、鉄橋は線路の高さまで波に洗われることになる。そのような状況での電車の運行は危険なので、阪神なんば線は運休することになる。
また、橋梁が低い位置に架けられていることは、両岸の堤防にも影響を及ぼしている。
架橋されたころの堤防の高さは線路と同じ高さであった。しかし、その後、現在までに治水計画が数回改訂され、以前にくらべて堤防が高くなっている。現在の治水計画では、架橋地点付近の計画堤防高はO.P.+8.10mと定められている。
ところが、両側の橋詰付近の堤防高は橋梁ができた当時のままで、計画堤防高より約1.8mも低くなってしまった。橋を架け替えて、線路を計画堤防高以上に持ち上げることは容易ではないので、電車を通過させるためのやむを得ない措置ではあるが、部分的に堤防が低い状態がずっと長く続いている。

このように阪神淀川橋梁の両側の橋詰には、線路敷を通すための高さ約1.8m×幅約8mの開口部が存在している。もし、淀川の水位が計画高潮位を越えてO.P.+約6.30mに達すると、この開口部から市街地側へ水がどっと流れ込むことになる。

淀川を管理する国土交通省のシミュレーションによると、左岸の此花区側へ流れ込んだ水は大阪駅周辺に達し、右岸の西淀川区側へ流れ込んだ水は新大阪駅付近まで達するという。もしそのようなことが起きれば、市街地の最大浸水深は3.0~5.0mに及ぶというから、ただ事では済まない。
陸閘とは

知っている人は少ないかもしれないが、淀川の下流域は「陸閘」の宝庫である。
不定期になると思うが、これから何回かに分けて淀川下流域の陸閘群を紹介していくことにする。
陸閘(りっこう・りくこう)とは、川沿いの堤防につくられた治水施設のひとつである。堤防に切り欠きを設けて、普段は鉄道や道路を通し、川の水位が上昇したときには遮水扉を閉めて、家屋などのある堤内地を洪水から守る役割を果たしている。
また、海岸堤防の出入口に設けられる防潮扉など同様の施設を陸閘と呼ぶ場合もある。
どきどき「陸閘門」と呼ばれることもあるが、水位の異なる河川や運河間に船を通すために設けられる「閘門」とは別で、役割や構造はまったく異なっている。
陸閘の設置されている箇所で最も一般的なのは、次のようなケースである。
- 橋で川を横断する鉄道や道路があり、架橋地点付近にはもともと堤防がなかったり、堤防の低い箇所だった。
- その後、堤防が築かれたり、堤防の高さが嵩上げされたりしたが、線路や道路、橋梁の高さを新しい堤防の高さに合わせて変えることができなかった。
- そのため堤防の一部に凹形の開口部を設けることで交通路や交通機能を確保した。
- 堤防よりも低い開口部を残したままなので、増水時などに川から水が流れ込む危険性がある。そこで洪水の侵入を防止する措置として、開閉式の遮水扉を備えた陸閘を設けた。
陸閘に設置される遮水扉には、さまざまな構造形式がある。
開口部の両側の縦溝を設け、そこに上から角材や材木を落とし込む「角落し」と呼ばれる簡単なものもあれば、開閉できる金属製の遮水扉を設けた箇所もある。

ゲートは垂直方向の回転軸による旋回扉で、
ワイヤーロープと人力のウインチで操作する
ゲートの操作中は線路閉鎖され列車の運行は休止する
開閉方式もさまざまであるが、操作時には緊急を要する防災施設であるため、スライドゲートやローラーゲートといった引揚扉を用いたもの、垂直方向の回転軸による旋回扉によるものなど、重力や人力で迅速かつ確実に動作するものが一般的である。どころが、なかには国道2号の淀川大橋に設けられている陸閘のように地面に水平方向の回転軸を設け、油圧によって旋回扉が空中を垂直方向に180°回転する奇抜なものも見受けられる。
水防の要 阪神陸閘

淀川の水位が計画高潮位を超えてO.P.+約6.30mに達した時、両岸の市街地に流れ出ようとする氾濫流を阻止するために両岸に設けられているのが阪神陸閘である。
陸閘にはスライド式の鋼製ゲートが設置されている。ゲートは2本のレールの上を車輪で滑らせる方式で、両岸とも普段は上流側にしまわれている。

ゲートは計画堤防高と同じ高さで、電車の窓枠の下あたりまである
ゲートのレールは電車の走るレールと直交しており、高潮などで水位上昇が予測されるときには、電車の運転を取りやめて、両岸のゲートを閉鎖して洪水を防御することになっている。
国土交通省がサイトで公開している訓練時の写真を見てみると、ゲートの下部に生じる隙間を詰める金物があるようで、さらに土嚢を積んで漏水を防ぐようである。

陸閘が閉められることはそう頻繁にはないが、最近の例では、2018年9月4日に台風21号が来襲した際に閉鎖されている。関空に高潮が浸入して水浸しになり、空港が閉鎖されたのと同じ日である。
当日は台風の接近にともなって気圧が低下し、それとともに潮位が上昇した。14:25ごろに大阪検潮所でT.P.+3.29mを観測している。この観測値は1961年の第二室戸台風時のT.P.+2.93mを上回る潮位となった。
ちなみに、第二室戸台風時の淀川は、遡上した高潮と波浪のために堤防の川側の土手が激しく損壊し、破堤寸前にまで至ったと記録されている。また、市内を流れる川を高潮が遡上し、西淀川区・港区・此花区・西区・福島区など大阪市の各地で高潮による浸水が生じ、床上浸水5万6千戸、床下浸水6万戸、被災者26万人という大きな被害を受けた。淀川近傍の高潮観測値として、大阪市港湾局千舟橋検潮所の自記記録としてO.P.+4.12mが観測されている。
2018年9月4日は、淀川でも14時前後から低気圧と風浪により水位が上昇したため、両岸にある陸閘が閉鎖され、阪神電鉄なんば線は全面運休した。
大塚切れ洪水碑

西淀川区側の陸閘近くの堤防上には「大塚切れ洪水碑」と刻まれた大きな石碑が建っている。
1917(大正6)年、台風による大雨で高槻市大塚で右岸の堤防が決壊し、高槻から下流の西淀川までの右岸一帯が水浸しになったことがあった。氾濫した水は1ヶ月経っても人家のある堤内地から引かず、この付近の堤防をわざと切って淀川に排水した。堤防の石碑は、そのことを後世に伝えるために建立されたものである。

ゲートの隙間から堤防道路脇にある「大塚切れ洪水碑」がみえる
同じような長期にわたる洪水被害は対岸の左岸側でも発生している。左岸側では枚方大橋付近で破堤し、下流の都島付近の堤防を切って大川に排水した記録が残っている。
両岸ともに、ひとたび氾濫流が堤内地側に流れ込むと、高い堤防が逆に災いとなって浸水が長期に及ぶことに変りはない。だから洪水や高潮を川から家屋のある堤内地に入れないよう細心の注意と対策が必要なのである。
2018年夏の西日本豪雨で岡山県倉敷市真備町や矢掛町などが小田川の決壊で水浸しになったことは記憶に新しい。岡山の被災地よりもっと大規模で長期にわたる水災害が淀川では100年間に2度も起こっていることを忘れてはいけない。
阪神なんば線淀川橋梁の改築事業
阪神電鉄なんば線の淀川橋梁には洪水や高潮などで水位が上がったときに開口部を閉鎖する陸閘があるというものの、かなり危険な状態がずっと続いていた。
鋼鉄製の頑丈なゲートがあるが、例えば、大地震が起きてゲートの基礎が壊れて開閉できなくなり、そこに大津波が来襲したらお手上げの状態になる。多くの事故や災害の事例をみると、そこには二つ以上の原因が介在していることが多い。「ゲートの開閉不能+津波の来襲」という事態も十分に起こり得る事態である。
淀川最下位の位置にある橋桁の下端を計画堤防高よりも高い位置に上げ、林立する橋脚の数を減らして水の流れをスムーズにするためには、橋を全面改築する以外に手立てはない。ただし鉄道の場合は、列車が登れる勾配が決まっているので、橋を嵩上げするだけでは済まない。橋を挟んだ両側の一連区間を高架構造にして路線全体を高くする必要があり、工事費用も工事期間も多大なものとなる。
おまけに電車を運行した状態での市街地のなかでの工事となるので、全面改築の必要性があるのはわかっていても、各論になると関係機関や地元住民との間での合意形成や利害調整などが難航するため、工事が具体化しなかったのであろう。
国土交通省が特定構造物改築事業として「阪神なんば線淀川橋梁改築事業」を採択したのは2000年度であった。その後、2009年に策定された淀川水系河川整備計画にも淀川橋梁改築計画が盛りこまれてきた。事業採択からじつに20年近く経った2018年秋になって、改築工事に着手することが決まったようである。
工事着手といってもただちに架け替えが始まるわけでない。
事業主体となる国土交通省のパンフレットによると、最初の3~5年で両岸の市街地に高架橋梁をつくるための用地の取得を行い、橋梁の新築を先行させながら市街地内の高架橋梁や駅の建設を進め、約12年をかけて完成させる計画となっている。現在使われている橋梁の撤去はさらにそのあと3年間を要する見通しで、あわせて15年計画である。
改築計画の概要は、国土交通省近畿地方整備局 淀川河川事務所が公開しているこのパンフレット(PDFファイル)に掲載されている。
計画によると新設される淀川橋梁は、現在の橋より少し下流側に移動し、桁下高を約7m高くする。橋脚の数も10本と大幅に減少する。将来、新しい橋梁が完成すれば、堤防の開口部や陸閘はなくなるので、洪水や高潮に対する安全度もおおいに高まることとなる。
ただし、完成までには10年以上を要する長い工事である。いつできるのか、まだ見通しの立たない現状では、諸手をあげて喜ぶわけにはいかない。
本当に備えは万全なのかな?
最後にひと言、ふた言。
陸閘や防災に関するこの記事は少し専門的でもあり、本来ならば、このサイト内の川のカテゴリーで書こうと思っていた。
しかし、つい先日、2025年の大阪万博の誘致が決まり、パリの選考会場で小躍りして喜んでいた大阪の行政関係者の姿をテレビのニュースでみて、大阪の人に関心をもってもらいたく、急遽この「大阪のこと」のカテゴリーの記事として原稿をとりまとめ公開した次第である。
この淀川陸閘は淀川を管理している国土交通省が管理しているが、淀川下流域には、国が管理する6箇所の陸閘のほかに、大阪府や兵庫県が管理する陸閘が11箇所もある。つまりアキレス腱が全部で17箇所もあるということである。
大阪での大型公共投資は、近い将来に必ず発生するとみられている南海トラフ巨大地震などに対する備えを優先すべきである。万博のような一過性のお祭り騒ぎや、統合型リゾートといえば聞こえがよいが、実態は半公営賭博場の建設に人や資源を注いでいる場合ではないと思う。
どうも大阪の行政機関や民間企業のお偉い方々は「儲かりまっか?」と「万博と賭博で一発あてまっせ!」と銭儲けで頭の中が一杯なのであろう。
地震や水災害などの自然災害は、施設の管理者が国であろうが自治体であろうが相手を選ばないし、手加減もしない。たとえ国による防御が鉄壁であったとしても、その隣の川で首長がザルを手に泥鰌すくいを踊っていたのでは話にならない。
大阪府が公開しているこのサイトでは、カテゴリー別に府の主要施策が紹介されているが、【防災・安全・危機管理】については、検討中も検討の終ったものも含めて空白となっていて、「公表項目はありません」と表示されている。
何もなくて大丈夫なのかな?と思ってしまう。もしかしたら、府民によけいな心配を掛けないよう、水面下で検討されているのかもしれないが・・・・・・
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