万博のころ EXPO’70 駐車場事情

1970(昭和45)年、千里丘陵で開催された万国博覧会は、活力と希望に満ちていた日本や大阪を象徴するようなお祭り騒ぎでした。
大阪万博・EXPO’70の開催期間は3月15日から9月13日までの183日間で、総入場者数は6,400万人に達しました。

当時の様子を父が撮影した写真がフィルム十数本分残されていました。
開催期間中の会場内やパビリオンの様子はよく知られていますので、ここでは会場周辺部や準備期間などのあまり知られていないことがらを中心に少しずつご紹介します。

シリーズ「万博のころ」の第1回目は、自家用車やバスで会場に押し寄せた見物客たちの駐車場事情です。

みんなで停めれば悪くない!

中央環状線特設駐車場万博外周道路の橋上からみた中央環状線の特設駐車場

大阪府道2号の中央環状線は、堺市から池田市にかけて府下を半円形に結ぶ幹線道路で、茨木~池田間は1970年の万博開催にあわせて開通しました。
万博会場付近では、中央部に中国縦貫自動車道と会場付近まで臨時に乗り入れた北大阪急行の万博会場線を設け、それらを挟む形で南北に片側3車線ずつの広い道路が整備されました。

その中央環状線を外周道路の西側で跨ぐ進歩橋の上から撮ったのが上のカットです。
撮影日がはっきりしませんが、前後のカットから推測すると8月の中旬か下旬のようです。

画面右側は西行き車線で、その1車線を完全に占拠するかたちで見物客の乗ってきたたくさんの車が縦列駐車しています。もちろん公安委員会から許可された特設駐車場ではありません。
当時、自家用自動車は庶民層に普及しはじめたばかりで、乗用車だけでなくトラックや商用車も混じっています。社会現象としてのモータリゼーション初期の様相を垣間見ることができます。
停まっている車のなかにはボンネットを開けている車も何台か見受けられます。家族や親戚など定員いっぱいの人を乗せて、遠路を夜通し走ってきてオーバーヒートしてしまったのでしょうか? それとも取り締まり対策として故障車を偽装しているのでしょうか?

万博開催と車社会の到来

万博開催と前後する1960年代後半から70年代にかけて、自動車は凄まじい勢いで増え続けました。
自動車検査登録情報協会の統計によると、軽自動車を含めた自動車保有台数の推移は次のとおりです。

■自動車保有台数の推移(軽自動車を含む、各年3月末現在)

  • 1966年 乗用車229万台、貨物車469万台、乗合車10.5万台
  • 1968年 乗用車409万台、貨物車650万台、乗合車13.3万台
  • 1970年 乗用車727万台、貨物車808万台、乗合車30.6万台

1966年から’70年までの4年間に、乗用車は2年ごとにほぼ2倍に増え、4年後には倍々ゲームで8倍に急増しています。貨物車も4年間で約2倍に増えています。
乗合車というのはバスのことで、こちらも4年間で約3倍に増えています。
とくに乗用車の増加は飛ぶ鳥を落とす勢いです。万博翌年の1971年になると乗用車は910万台となって、自動車が普及してから’60年代までの間、種別でずっと首位を占めていた貨物車の854万台を追い越します。

万博の開催当時、会場周辺には外周道路沿いなどにたくさんの駐車場が設けられましたが、イナゴの如く押し寄せる見物客の自動車には到底対応できるキャパはありませんでした。
無法状態のような中環の1車線だけでなく、写真右端にある中環から外周道路にでるランプウェイの坂道脇にも、斜めにビッシリと車が停まっています。

なんでもそうですが、ブームになったり新しいモノが急激に普及したりすると、モラルのよくない人々が一定数出現します。天下の公道は長時間の駐車をしてはいけない場所、公道の私物化はやってはいけない行為です。モータリゼーションの側面からみた当時の日本は、まだ発展途上国だったのでしょう。
その後、半世紀が経過した現在、自動車大国になってモータリゼーションもすっかり成熟したかといえば、そうではありません。飲酒運転やあおり運転が社会問題になったり、横断歩道のところに渡ろうとする歩行者がいても無視して停まらなかったりで、依然として発展途上国の状態が続いています。

ところで、中央環状線に挟まれた中央部の中国縦貫自動車道には、上下線に車が1台ずつ見えるだけで閑散としています。
当時は、3月1日に吹田ICと中国豊中ICが開通したばかりでした。7月23日には中国豊中IC ~宝塚IC間が開通しましたが、宝塚で尻切れトンボだったので需要はほとんどありませんでした。
万博周辺の吹田ICから豊中IC間は、中央分離帯のない暫定2車線で、センターラインが黄色の追い越し禁止区間でした。これは本来の東行き車線が、会場に観客を大量輸送するための北大阪急行電鉄の会場線という鉄道の臨時路線に使われていたためでした。

プロドライバーは秩序正しくきっちり駐車

万博会場バス駐車場中央団体バス駐車場を埋め尽くした各地からの貸し切りバス

さて、こちらは万博会場の中央口に隣接して設けられた中央団体バス駐車場に各地から集まったバスの群れです。何十台ものバスが、背中合わせにして寸分の隙間もなく、広い駐車場にビッシリと並んでいます。

中環に放置された自家用車の群れとは違って、法令は遵守され、しかも秩序正しく整然と駐車されています。
前掲の統計によると、バスも4年間に3倍に増えています。大型二種免許を保有するプロドライバーも急増したのに違いありません。

しかし、自家用車と違ってバスが急増した弊害は、少なくともこのシーンからは見られません。むしろプロドライバーたる者は、かく有るべきだという見本のような駐車場の光景です。

たくさんのバスはどこから観客を運んできたのでしょうか。当時まだ高速道路網は整備されておらず、本州と四国も橋では結ばれていません。
参考までに、画像を拡大してバス会社や本社所在地を調べて見ました。
前列の右から3台は、神姫バス(兵庫県姫路市)、中央の緑と白のツートンは塗装から全但バス(兵庫県養父市)と思われますが詳細は不明、その左側の屋根が水色は中央交通(大阪府八尾市)です。
左側の2台は、少し色味が違いますが、ナンバープレートが2番違いなので同じ会社のようです。赤とクリームのツートンの配色から長野電鉄バスのような気もしますが、調べた範囲では会社名はわかりませんでした。


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