万博のころ EXPO’70 象のお宿

万博に参加したタイ王国の象たち

シリーズ「万博のころ」の第2回目は、万博が開催されていた期間のうち、夏の1ヶ月を千里丘陵で過ごした象の話です。

大阪万博・EXPO’70には、日本を含めて77の国と国連など4つの国際機関が参加しました。このほか、イギリス領の香港、カナダのケベック州やミュンヘン市など12の地域、州や市も参加していました。

参加した各国や各機関などは、それぞれのパビリオンを設けて展示や情報発信を行ないました。また、開催期間中には参加各国の「ナショナルデー」という日が設けられ、太陽の塔の足もとに設けられたお祭り広場で、さまざまなイベントやショーが開催されました。

ここで紹介するのは、タイ王国から船に積まれて遙々海を渡って千里にやって来た約20頭の象の話です。タイ王国のナショナルデーは8月12日に設けられました。象たちは夏休みの目玉イベントとして8月12日から20日までの9日間にわたって開催された「象まつり」に出演するために来日したわけです。

なお、自分はこの象を実際に見たわけではありません。本稿を書くにあたり、父の撮影した写真を注意深く読み取るとともに、ネットで公開されている次の記事を参考にしています。

当時、タイにおける象は、自動車や建設機械の代わりを果すいわゆる使役獣として扱われていました。調教された象を象使いの人が操り、伐採した樹木など重量物の運搬や建設工事などに従事していたそうです。
万博にやって来た象は、単なる使役獣であるだけでなく、大勢の観客が見守るショーなどにも出演でき、落ち着いて行動ができるよう象使いによって高度に調教された特別な象の一団だったのかもしれません。

万博関連のサイトの記述や当時の報道記事をみると、来日した象の頭数には多少のバラツキが見受けられます。16頭と記述している記事が多く、なかには20頭と書かれているサイトもあります。
また、大人の象のほかに子象が混じっており、日本に来る船のなかで生まれた子象が1頭と、千里に滞在中に生まれた子象が1頭いたようです。
したがって、多少の誤差は含まれますが、象の一団は子象をあわせて20頭前後といった規模のようです。

象の一団は、神戸港に上陸して、国道などの道路を歩いて千里に移動し、会場近くの宿泊地で約1ヶ月間滞在しました。役目を果たして再び神戸港から帰国するまでの日程は、おおよそ次のとおりでした。

  • 1970/0*/**:タイから神戸港に到着、船内で子象が1頭生まれた模様
  • 1970/08/03:神戸港を出発、この日は武庫川の甲武橋付近の河川敷で野営
  • 1970/08/04:朝9時に武庫川を出発、14時ごろ千里に到着
  • 1970/08/12:タイ王国ナショナルデー、「象まつり」開幕
  • 1970/08/16:未明に宿泊地で母象が子象を出産、「ヒロバ」と命名
  • 1970/08/20:「象まつり」終了
  • 1970/09/04:神戸に向けて千里を出発、途中の武庫川で一泊
  • 1970/09/05:神戸港に到着、船で帰国(出航日は不明)

神戸から千里までの距離は約40キロあります。象たちは、フラワーロード、山手幹線、国道171号など経由し、全行程を自分たちの足で歩いたそうです。
報道記事によれば、交通量の多い国道を通る間も自動車の通行規制はなかったそうでが、道路の左端を一列縦隊でゆっくりと行進したようです。

しかし、慣れない舗装路面で足を痛めた象がでて、途中の武庫川到着が当初の予定より2時間遅れてしまいました。川に入って水浴びができ、体も休められる河川敷のロケーションが気に入ったのかして象も大喜びです。そこで急遽予定を変更して、甲武橋付近の武庫川の河原で一晩野営したということです。
夜になって象が暴れださないか心配した警察が、念のために尼崎北署から50人の警察官を出動させて、徹夜で警備にあたったと新聞記事には書かれています。

翌日、朝の9時ごろに武庫川を出発した一行は、時速約5キロで国道171号を東に進み、箕面市今宮から千里二号線を南下して北千里駅付近を通り、14時ごろに万博会場近くの宿営地に到着したとのことです。

千里にやって来た象たちは、お盆を挟んだ夏の最も暑い時期に1ヶ月間、日本に滞在していたたことになります。次のセクションで千里での象たちの一日を紹介しましょう。

千里での象の一日

千里での象の一日と言っても、24時間密着取材をしたわけではありません。
8月中旬のある日に父が撮影した何カットかの写真とネット上の断片情報をつなぎあわせて、可能な範囲で象たちの暮らしぶりを追ってみます。

出発の準備をする朝の宿営地出発の準備をする朝の宿営地の様子

最初のカットは、朝の宿営地の様子を写したものです。
場所については、最後のセクションで詳しく書きますが、万博会場の外周道路に隣接した一角です。
両側を竹藪に挟まれた約40メートル四方の敷地が宿泊地にあてがわれたようです。向って右奥には、ゾウ使いや世話係の人が寝泊まりする2階建てのプレハブの宿舎が建っています。

左手奥には平屋のプレハブがあります。正面左側にちょうど象が通れるような大きな扉が設けられています。確証はありませんが、大きな扉のサイズからみてこの建物が象のねぐらのようです。建物はあまり大きくなく、間口は7メートル、奥行きは10メートルぐらいです。仮に、象が20頭近くも入るとなると、窮屈で身動きが取れなくなるかもしれません。

宿営地内の広場には、背中に赤い籠を載せた象たちが集まり、出発の準備を整えています。
手前のトラックには、ドラム缶が8本積まれています。このあたりの千里丘陵は水利が悪いので、象の飲む水なのかもしれません。
手前右の入口付近では、交通整理を担当する警察官の人たちがハンドマイクを携えて整列しています。

お祭り広場に向けて宿営地を出発お祭り広場に向けて宿営地を出発

準備が整った象たちが、順番に宿営地を出発していきます。立派な牙のある雄の象は大きくて貫禄があります。

子象も迷子ワッペンをつけて会場に母親に連れられて子象も「迷子ワッペン」をつけて出発

千里にはタイからの道中、船内で生まれた子象も来ています。子象も母親と一緒に象まつりに出演するようです。象使いの人が母親の背中にのって、はぐれないようにロープで制御しています。

子象の首につけられているのは「迷子ワッペン」です。今回の記事を書くために調べて初めて知りましたが、万博に連れていってもらったことのある子どもなら、みんなこのワッペンのことを知っているそうです。
この迷子ワッペンは、子どもが身につけるワッペンと保護者が持つ紙片とがペアになっていて、同じ絵柄と番号が付けられいます。もし迷子になったときは、ワッペンに書かれた絵柄と番号を係の人に伝えて保護者を捜すしくみです。
子象の首につけられているワッペンにも、もちろん絵柄と番号が入っています。絵柄は蝶々で、ナンバーは栄光の「000001」です。

宿営地から万博会場内に移動中の写真を父は撮っていないようです。外周道路の右端を一列縦隊になって行進している象の一団の写真を吹田市立博物館のサイトで見かけたことがあります。

お祭り広場 象祭りでの拝礼お祭り広場 象祭りでの拝礼

象まつりの会場となったお祭り広場には、たくさんの観客が広場を囲むように集まっています。
ちょうど夏休みの後半ですので、保護者に連れられた子どもが多く、最前列には子どもがずらりと並んでいます。

象まつりの内容は、実際に見ていないのでよく分かりませんが、最初にお社のようなところの前に集まって、拝礼を行なっているように見受けられます。
拝礼に参加できるのは、関係者でも象使いなど一部の人だけのようです。写真の右上、会場の隅には後述する兵士役の人が見守りながら待機しています。

お祭り広場 戦いのシーンお祭り広場 象祭りの闘いのシーン

このカットは、先ほどの拝礼のシーンの数カットあとに撮影されいます。
象の上には赤い帽子を被り、民族衣装を来た人が2人ずつ乗っています。一番大きな雄の象には、赤い服を着た王様のような位の高そうな人が椅子に座っています。
象の脇に立っているのは兵士でしょうか、剣と盾を手に携えています。

お祭り広場 子象と子どものアトラクションお祭り広場 子象と子どものアトラクション

このカットは、ショーが終わったあとのアトラクションのようです。
「ポーちゃん」という名前が書かれた子象が係の人に連れ出されています。宿営地を出発するときに見かけたワッペンをつけた子象だと思われます。
小旗を手にして列をつくっている子どもたちは、観客のなかから選ばれたのでしょうか。みんなで一列になって象の長い鼻を表現しているのでしょう。ざっと数えてみると80人ほどいます。

お祭り広場 観覧席から象まつりを見る大勢の観客お祭り広場 観覧席から象まつりを見る大勢の観客

お祭り広場には平面の観覧スペースだけでなく、このような立体的な観覧席も設けられており、ほぼ満席の盛況ぶりでした。

宿営地で水を掛けてもらう象宿営地に戻り頭に水を掛けてもらう象

お祭り広場でのショーを終えた象は、行きと同様に一列縦隊で宿営地に帰ります。
戻った象たちには、ご褒美でしょうか干し草の餌が与えられます。
この雄の大きな象は、干し草を食べながら世話係の人からホースで頭や体に水を掛けてもらっています。

お祭り広場の運営ディレクターを担当されたIさんの話によると、この象の宿営地には水道の配管や蛇口が1本しかなく、水を欲しがる象の給水には苦労があったようです。
ある暑い日のこと、宿営地から会場に入ってお祭り広場に近づいた象たちが、広場の隣にあった噴水のある人工池を見つけ、池をめがけて突進したことがあるそうです。熟練の象使いの人も、水を求めて池に突撃する象を制御できなかったというエピソードが残っているそうです。

象のお宿は何処に

最後に約1ヶ月間、象が寝泊まりした宿営地の場所について考察しておきます。

写真を撮影した父や関係者に尋ねれば一発ですが、もう半世紀も経っていますので、実現できないなことも多くなりました。また、人の記憶は意外と曖昧なものですので、思い違いをしていることもしばしばあります。

今回調べたところ、象が寝泊まりしていた場所には諸説があるようですが、現在の大阪モノレールの車両基地付近が濃厚だということです。ここでは、確固たる証拠である写真に基づいて検証します。

父の撮った写真から把握できることは次の点です。

  • 宿営地の広さは、間口約30メートル×奥行き約40メートル前後
  • 宿営地の背後に道路照明灯が2本見えることから幹線道路に隣接している
  • 照明灯の配置や間隔から背後の道路は外周道路である可能性が高い
  • 宿営地は道路よりも一段(2~3メートル前後)低くなっている
  • 宿営地内は、ほぼ平坦に整地されている
  • 宿営地の両側には竹藪が分布している
  • 宿営地の入口側にはネットフェンスが設けられている
  • 宿営地内の建物は2棟ある
    (1)関係者の宿舎と思われる2階建てのプレハブ
    (2)象のねぐらと推定される平屋のプレハブ
  • 宿営地への出入口は背後の道路とは反対側の辺にある
  • 朝の出発時における影の方位から計測して宿営地の入口は北側に向いている

写真から判読できた以上の条件を念頭にいれ、万博開催期間中もしくは開催期間に最も近い日に撮影された国土地理院の空中写真を捜しました。
開催中の空中写真はありませんでしたが、閉会して約半年後の1971年5月に、高度3,500メートルから撮影されたモノクロ写真が見つかりました。

先に掲げた条件を念頭に入れながら、空中写真を判読して宿営地を捜しました。
条件のうち決め手となるのは、「背後地側で外周道路と隣接し、道路より数メートル低い位置にある」ことと「影の向きから北側に出入口がある」の2点です。

外周道路の南側は条件に当てはまりません。条件に合致した場所は、外周道路の内側ですが、万博の関連施設や駐車場が設置されていて、竹林が残っている箇所はほんの僅かです。

象のお宿の場所写真から検証した象のお宿の場所(○印)
国土地理院空中写真 MKK712-C2-15 【1971/05/09撮影】

その場所は、外周道路の進歩橋の南詰の東側で、外周道路の北側(内側)、中央環状線の南側です。現在は大阪モノレールの車両基地が置かれている敷地の西端部、大阪高速鉄道株式会社の鉄筋コンクリート2階建ての建物がある付近です。ほかに先の条件に全て合致する場所はなく、この場所で間違いないと思います。

象たちは、毎日、宿営地の北側から中環のランプウェイ伝いに外周道路の進歩橋南詰にでて、外周道路の一番右端の車線を一列縦隊で行進しながらお祭り広場に向ったのでしょう。

閉幕後、約半年が経過した空中写真の撮影時点では、象のお宿は跡形もなく片付けられ、資材置き場などに使われていた模様です。その後、残っていた両側の竹林も伐開され、今ではモノレールのお宿に姿をかえています。

短い期間ですが千里に象のお宿があったことは、今から49年も前の夏のおとぎ話になりました。

像のお宿のあった場所象のお宿があった場所はモノレールのお宿に【2020/10 撮影】

なお、吹田市博物館のサイトに、ゆるやかな谷状の斜面で象が数頭遊んでいるようなシーンの写真が載っています。地元の山田地区の方が撮影された写真ですが、そこに写っている場所は宿営地ではなく、おそらく象を運動させているか、草を食べさせているシーンを撮ったものだと思います。
その場所は、宿営地から少し離れており、外周道路を挟んだ南側の斜面地です。現在は平坦に整地されていて、モノレール基地敷地内の西南端にある大きな建物が建っているあたりだと思います。


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