開催までの準備期間
シリーズ「万博のころ」の第3弾は、開幕までの「リハーサル」の特集です。
大阪万博・EXPO’70の開催が決まったのは、1965年9月のことです。翌月の10月には主催する財団法人日本万国博協会が発足し、開催に向けての準備が作業スタートしました。
開幕までの準備期間は約5年間ありました。推進母体の万博協会は国や財界などの支援を受けた財団法人ですが、実働部隊は行政機関や企業からの出向者が多く、いわば寄せ集めの混成部隊でした。派遣元の思惑、流儀や慣習、価値観などが異なるため、会議で物事ひとつ決めるにしてもいろいろと苦労がたえなかったそうです。また、指揮系統も縦割り社会ならではの制約や、面倒な手続きがつきまとったと聞きます。それでもなんとか成功に導けたのは、人々の辛抱と調整の賜物でしょう。
当時は、万博会場まで歩いていける北千里に住んでいましたので、次第に会場が出来上がっていく様子を毎日間近で見ることができました。
開催の2年ぐらいまえから、中央環状線や新御堂筋、国道171号などアクセスルートとなる幹線道路の整備工事に拍車がかかりました。開催の前年には、お祭り広場やパビリオンなどの建設工事も急ピッチで進められました。

日立グループ館付近 【1970年3月 撮影】
会場内の各施設やパビリオンなどの器がおおむねできあがると、今度は館内に展示するモノやソフトウエア、観客を迎える人材の準備が進められました。
開幕を間近に控えた会場内ではパビリオン内外の仕上げ工事が進められ、参加国や出展企業などで準備された展示物が会場に運び込まれていました。
準備作業や研修などでパビリオンに向う関係者の通勤風景
開幕まで約20日となった2月24日には、万博会場に直接乗り入れる北大阪急行の万博中央口駅が開業しました。会場内では工事車両の脇を縫って準備作業や研修でバビリオンに向う関係者の通勤風景も見られました。
開催式のリハーサル
開会式は開幕前日の3月14日、午前11時からお祭り広場で開催されました。記録によると、式典には、天皇・皇后両陛下、皇太子殿下・同妃が臨席され、特別招待客や一般招待客など12,000名が出席したとされています。
参加各国の国旗と代表が入場行進し、万博旗が博覧会国際事務局オタカール・カウッキー副会長から日本万国博覧会協会石坂会長に手渡されました。
石坂会長・佐藤首相・船田衆院議長・重宗参院議長・左藤大阪府知事が祝辞を、天皇陛下がおことばを述べられました。皇太子殿下が開幕のスイッチが押され、くす玉が割れて紙吹雪が舞い、噴水が水を跳ね上げて、183日間にわたる日本万国博覧会がスタートしました。
万博の開会式は、国家の威信をかけた重要なキックオフ・イベントであっただけに、入念な打ち合わせとリハーサルが重ねられたようです。
リハーサルが何回ぐらい行なわれたかは把握していませんが、開会式の直前に行なわれたと思われる最終段階のリハーサルの様子を撮影したフィルムがありました。

最初は国歌斉唱と国旗掲揚です。引きつづいて、吹奏楽団の演奏する「万国博マーチ」にのって、各国の国旗とホステスが入場します。
画面右端に白いステージがみえますが、ステージの右奥に花道が設けられています。入場行進の先頭は、前回のモントリール博覧会を開催したカナダです。国旗と一緒に入場したホステスがステージの上で立ち止まり、自国の言葉で「おはよう」「こんにちは」とあいさつをします。そのあとステージ両脇の階段を降りて、お祭り広場の奥から手前へと順に並んでいきます。

国旗の後ろには各国のホステスが並びます
各国の国旗を持つ旗手は、服装からみて自衛隊などではなく民間人のようです。大手の警備会社が担当していたのでしょうか。何十回も訓練を重ねたのでしょう、手足の先まで神経が行き届き統率のとれた様子です。
関係者の話では、リハーサルの時、あまり知られていない参加国の国旗が天地逆さまにつけられていて、それに誰も気づかなかったこともあったそうです。開会式本番でもしそんなミスをすると、開催国の面子は潰れますし、国際問題になりかねない大失態です。進行管理を担当した裏方氏の苦労話が伝えられているそうです。

この日のリハーサルでは、参加国の多くは国旗だけが入場しています。開会式本番では、国旗と一緒に制服や民族衣装を着た各国のホステスが1~4人ずつ入場します。リハーサルの時は日本のコンパニオンが、各国のホステスの代役を務めています。
国旗とともに入場してきたホステスは、ステージ中央に立った国旗を中心ににして、ステージの両端から自国の言葉で「こんにちは」などとあいさつをします。画面手前で2人のコンパニオンが立っているスタンドマイクのところや、左端のコンパニオンが立っている場所です。
客席の脇や要所にチェスの駒のように立っているのは、本番の観客に見立てたコンパニオンです。マントのようなコートを羽織っていますが、足もとが当時流行のミニスカートなので、とにかく寒かったということです。
’70年当時は、今のような手軽なホッカイロはなく、ベンジンや楠灰のカイロしかありません。毛糸のパンツを履けば、寒さを多少はしのげたでしょうけど、そんな野暮なことは誰もしなかったのでしょう。

こちらは式典の行進曲に使われた「万国博がやってきた」などの音楽を担当する吹奏楽団です。
制服からみて自衛隊の音楽隊のようですが、奥のほうには詰め襟姿の大学生も見受けられます。音量を確保するために、混成部隊だったのかもしれません。楽団員のなかにもコートや防寒服を着て、寒そうにしている人も見受けられます。
左端の茶色いスーツの男性は、指揮者の朝比奈隆氏でしょうか?

撮影されたフィルムの駒数からみて、入場行進が終り、式典が始まってなかばに達したころです。整列した各国の旗が頭を垂れ、前に進み出た日章旗も頭が下げられています。
どのようなシーンのリハーサルなのかわかりませんでしたが、万博の記録映画で開会式本番の映像を確かめたところ、参加各国が天皇陛下にご挨拶する場面でした。

この日のリハーサルは、予定された式典が終わり、各国の国旗と代表がお祭り広場をあとにするところまでの一連の動作を確認して、ひと区切りつけたようです。
退場していく行列の最後尾に見えるのは、一番最初に入場したカナダの国旗と4人のホステスです。
3月14日の開会式当日は朝方まで雪が舞い、リハーサル以上にとても寒い一日となったそうです。リハーサルを重ねた甲斐あって、本番は滞りなく約1時間で無事終了したようです。
広場の外でもリハーサル
お祭り広場のなかで開会式のリハーサルが行なわれていたとき、周辺の広場の外でもさまざまなリハーサルが行なわれていました。
中央入口からお祭り広場に向うメイン通路には、4基のエスカレータが並んでいます。その脇にある階段の下では、入場行進のリハーサルで旗手を務めていた人と同じ制服を着た10人ほどの男性が二列横隊で整列しています。休めの姿勢をしているようですが、何の練習をしているのでしょうか。

お祭り広場の裏手には噴水池や大小の人工池が設けられています。その池と池に挟まれた狭い水辺のテラスのところでは、50~60人の女子がいくつかのグループに分けれてダンスの練習をしています。
10人ぐらいずつでひとつのグループをつくり、グループごとに赤・白・青・緑・黄色に色分けされています。万博のシンボルマークのデザインは5つの花びら模様ですので、開会式の式典のあとアトラクションでグループでダンスを披露するのでしょうか。体を動かしているとは言え、冬の水辺のでリハーサルは寒そうです。
噴水施設もリハーサル
冬空のもとで水を吹き出す「夢の池」のイサム・ノグチの噴水群
お祭り広場の東側に隣接した「夢の池」では、開栓コックを全開にして噴水施設の動作確認が行なわれていました。開会式では、皇太子殿下(現在の上皇陛下)がスイッチをオンにされると、広場周辺の噴水が一斉に水を吹き出すという設定だからです。
水の挙動がパワフルでダイナミックです。背景には青空も見えますが、冬独特の低い雲が漂っています。お祭り広場と同様にこちらのリハーサルも、かなり寒そうです。
この夢の池は、前編の「象のお宿」で少し触れた場所です。暑い8月にタイ王国から来日してお祭り広場での象まつりに出演していた象たちが、猛暑と水不足を我慢できずに象使いの制御を振り切って飛び込んだという伝説の池です。
池のなかに立っている噴水の塔は、故イサム・ノグチの作品群で、左から「星雲」・「彗星」・「コロナ」・「惑星」です。中央の一番大きな彗星の高さは33メートルもあります。
これらの噴水は、世界的な芸術家の手がけた作品で、「宙に浮く噴水」として評価されましたが、万博閉幕後は水を止められてしまいました。40年後の2011年になってようやく再塗装が施され、見た目だけは元通りになりましたが、水を出せないまま半世紀近くの間、放置されていました。「オブジェ」と言えば聞こえはいいですが、水の出ない噴水塔は残骸でしかありません。
ところが先年、2025年の大阪万博開催が決まり、大阪府などが世界遺産登録を目論んでいる太陽の塔とともに、EXPO70の「レガシー」だということで注目されました。
急遽、大阪府が復元整備をすることを決め、リニューアルされるそうです。一時は自らの開発事業の失策によって金がなくなり、アレを潰し、コレも閉鎖したくせに・・・・・・。
まぁお役人らしい発想といいますか、彼らの企んでいることというのは、文化や芸術作品を政策や政党の客寄せパンダとして利用しているような気もします。
さて、2025年に開催される次の万博はうまくいくでしょうか。
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