淀川の戦い_水害の記録写真に重ねられた奇妙な「sample」の文字

写真画像に重ねられた珍妙な「sample」の文字

淀川を母なる川とする水都大阪は、水都であるが故に洪水や高潮、津波といった水災害にたびたび見舞われ、大きな被害を幾度も被ってきました。
大きな水災害の記録として、古くは、1855年の大津波による被災状況をまとめた『大地震両川口津波記』があります。水災害の恐ろしさと災害時に命を守る術を後世に伝えるために、重要な事項を石に刻んだ碑が大正橋のところに建立されています。
https://takaginotamago.com/osaka/003_taisyoubashi/#03

『大地震両川口津波記の石碑』大正橋に建立されている『大地震両川口津波記』の碑文

いっぽう、被災状況を可視化して記録されているのは、写真が普及した明治以降になります。1868(明治元)年から1970(昭和45)年までの約100年間に、大阪で発生した主な水災害には、次のようなものがあります。

  • 1870(明治3)年 洪水
  • 1885(明治18)年 明治大洪水(淀川改修工事の契機となった大水害)
  • 1912(明治45・大正元)年 洪水
  • 1917(大正6)年 大正大洪水
  • 1921(大正10)年 洪水
  • 1934(昭和9)年 室戸台風
  • 1950(昭和25)年 ジェーン台風
  • 1961(昭和36)年 第二室戸台風
  • 1967(昭和42)年 北摂豪雨

先日、ちょっと調べたいことがあり、戦前に大阪を襲った室戸台風による水害の被災写真(画像)をネットで捜しておりました。そして、タイトルに記したような奇妙な画像に行き当たりました。

例えば、このような画像です。以下に掲げた「サンプル画像」は、自分の捜していた写真ではありませんが、今から約135年前、1885(明治18)年の洪水直後に撮影された大阪市内の被害状況の写真です。

網島のわざと切れ

「sample」のすかし文字で価値が台無しの「網島」の写真
(資料:国土交通省 淀川河川事務所 ウェブサイト)

https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/flood_record/nb3uba0000000ycs-att/img0001W.jpg
※長辺400ピクセルの元画像をここでは約110%拡大して表示

これは1885(明治18)年の歴史的な大洪水を記録した写真です。サムネイルのタイトルには「網島」とだけ記されています。

編島は、現在の都島区京橋の少し西側で、現在は藤田邸跡公園のあるあたりです。淀川河川事務所のサイトには、この写真についてなんの解説も付されていませんが、わが国の災害史および治水史上、きわめて重要な記録写真です。

拡大してみると、画像の左上に縦書きで「大長寺裏」と書かれた付箋のようなものがついています。この写真は網島の大長寺裏から西側を流れる淀川(現在の大川)の左岸堤防を写したものです。
画像を一見するだけでは決壊箇所のようにも思えますが、堤内地に溜まった氾濫水を淀川に排水するために堤防をわざと切り開いた箇所の写真です。少し調べると、撮影されたのは7月上旬だということもわかりました。

この「わざと切り」と呼ばれている堤防の開削部のうえに大きな「sample」の文字が無造作に重ねられています。“s”と“a”の間に2本の煙突が見えますが、おそらく対岸にある造幣局の煙突でしょう。また、“e”の文字の上に見える屋根は、旧藤田邸の建物の一部かもしれません。

このように背景も含めると、写真に写り込んだ情報量はものすごく多く、三角測量の要領で撮影位置や被写体の位置の比定もできます。鮮明な記録写真は、いわば宝の山のようなものです。

もしかして、淀川河川事務所のサイトを制作した担当者は、この写真のもつ歴史的な価値を知らないのかもしれません。だとすると、『宝の持ち腐れ』というか、言語道断を通り越して、もはやあきれるほかありません。

網島付近の現在の様子網島あたりの現在の様子 【撮影:2022年】
明治18年の写真と同じ場所ではないが、造幣局の対岸付近
川沿いの桜宮公園には「水防碑」が置かれている

明治の大水害を記録した写真
工作物の上に大きな「sample」の文字が入れられた記録写真
(資料:国土交通省 淀川河川事務所 ウェブサイト)

https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/flood_record/nb3uba0000000ycs-att/img0002W.jpg
※長辺400ピクセルの元画像をここでは約110%拡大して表示

この画像のサムネイルには「東横堀川」と記されています。
木造橋のようなものを被写体にしていますが、元画像のサイズは長辺400ピクセルと小さく、解像度もあまりよくありません。さらに、真ん中にでかでかと「sample」のすかし文字が重ねられているため、場所の特定は難しく、何が写っているのかも判然としません。

画像を拡大したり、トーンを変えながら少し調べてみました。対岸に大きなお寺やお宮の屋根が並んでいるので、大川を挟んだ南側から撮影されたことがわかります。すかし文字に消されているのは、流失を免れた木橋のようです。やや左側に見える破損して傾いてしまった長い柱から、東横堀川の最上流の橋、葭屋(よしや)橋だと推定されます。現在の斜張橋に相当する斬新な構造です。橋の上には人影のようなものが見えますが、人なのかどうかはっきりしません。もう少し鮮明ならば、人をスケールの代りにして橋の大きさなども掴めるはずです。
葭屋橋が被災したのち、折れて傾いた柱を修繕するか、それとも壊して新しい橋に作り替えるのかでだいぶ揉めたというエピソードが残っています。

それから、対岸の煙突の手前に桟橋のような工作物が見えます。これは、流されずに残った難波橋の北半分ではないかと思われます。北側半分だけがすでに鉄橋化されていたので助かり、木造だった南半分は洪水で流失してしまいました。

いずれの写真も資料的価値の高い被災記録です。現状の長辺400ピクセルではなく、せめて1200ピクセルぐらいの解像度の高い画像で公開する値打ちは十分にあるでしょう。

せっかくの記録写真をこんな珍妙な画像にして、世界中からアクセスできるウェブサイトに堂々と掲載しているのは、淀川河川事務所、つまり淀川を管理している国土交通省の出先機関です。サムネイル画像には、おおまかな撮影場所が記されていますが、拡大写真にはタイトル、撮影日時、撮影場所の詳細、撮影者など肝心な資料のデータはまったく記載されていません。

当時、写真はガラス乾板の時代で、まだ、一般には普及していません。撮影したのはおそらく大阪府あるいは内務省などの行政組織か、そういった組織から撮影を依託された写真技師(まちの写真館など)である可能性が考えられます。おそらく、個人の著作物ではなく、職務著作物(法人著作物)であるものと思われます。その場合、職務著作物の著作権保護期間は公開(公表)から50年間です。

仮に個人の著作物であった場合、著作権の保護期間は次のように推算できます。1885年に20歳の青年写真技師が撮影したと仮定し、1965年に100歳で没したとします。その場合、著作権の保護期間は50年間ですので、没年の翌年である1966年から起算して、50年後の2016年12月末をもって保護期間は終了しています。これは、余裕を持たせた保護期間の計算です。撮影したのは、おそらく30~40歳前後の方でしょうし、日本人男性の平均寿命は80数歳です。

明治大水害のサムネイル画像明治大洪水の被害写真の一覧(サムネイル)
(資料:国土交通省 淀川河川事務所 ウェブサイト)

https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/know/history/flood_record/flood_1885.html

淀川河川事務所のこのページには、「ご覧になりたい写真をクリックすると拡大画像がご覧頂けます。」と記されています。写真の細部を詳しく見たいので、案内に従ってクリックすると、大きく「sample」と記された長辺400ピクセルほどの画像が表示されます。ナローバンドで通信していたインターネットの黎明期ならともかく、長辺400ピクセル前後のサイズで低い解像度の画像は、今の時代は「大きな画像」とは言えません。いちばん問題なのは、オリジナルの写真に写し込まれているはずの情報が判読できるような鮮明な画像、邪魔な文字のない大きなサイズの画像が表示されないことです。

上に例示した画像を含め、同事務所のウェブサイトの「洪水の記録」のカテゴリーで公開されている画像には、撮影時期の如何を問わず、もれなく「sample」のすかし文字が入っています。すかし文字を入れる作業をしたのは、たぶん、ウェブサイト制作の業務委託を受けた建設コンサルタントか業界団体、広告代理店あたりだと思います。

もしそうだとすれば、写真記録の価値や写っている被写体のことなど何も考えずに、河川事務所の指示に基づいて、機械的に「sample」を重ねて、情報を殺す作業をしたのでしょう。じつに情けない話です。

初代デジタル監が残した笑い話

通常、先に例示した「sample」もしくは「サービス名」のすかし文字が入っている画像は、商品の「サンプル」画像です。出版や広告などの業界では「カンプ」と呼んで、制作物の仕上がりをイメージしたり、画像の購入を検討するためのサンプルとして扱われているようです。

いずれの呼び方にせよ、これに類似したすかし文字の挿入行為は、写真版権を有償で貸し出すサービス業務を行っている「フォト・ライブラリー」や「フォト・エージェンシー」などにおいて、貸与する商品としてどのような画像を保有しているかを、利用希望者に知らしめる為に使用されることがほとんどだと、当方は認識しています。

つまり、すかし文字で「sample」表示された画像は、商品である貸し出し画像を吟味するための「サンプル」なわけです。また、そのような検討用の画像は、画質や画像のサイズなども、故意に小さくして検討用途以外には使いにくいよう設定されているようです。

本来、見本用・検討用として提供された画像を、利用するための準備や確認などといった目的を越えて勝手に使うと、それぞれのサービスで定められている利用規約違反となったり、無断複製を禁じている著作権法違反となります。

いっぽう、利用規程に基づき使用料金を払うなど、正規の手続きを踏んで使用した画像には、当然のことながら「sample」などといったすかし文字は入りません。ただし、その画像の使用に際しては、利用規程など著作権者によって何らかの制限が加えられるケースもあります。

デジタル社会に遅れをとるまいと、前首相の肝いりで2021年9月に、デジタル社会形成への司令塔となるデジタル庁が発足しました。

事務方トップの初代デジタル監に某女史が就任されたときに、ずいぶん話題になりましたので、みなさんもご存知かもしれませんが、こんな笑い話がありました。

某女史は、ご自身のブログの記事に、画像販売サイトである「PIXTA(ピクスタ)」のすかしの入った画像を複数カット使用しておられました。
それらは、目的外の無断転載であり、当然のことですが著作権を侵害した違法行為でした。

「忙しかったので、つい見落とし、使ってしまった」などと弁解されていました。スピードを出し過ぎて白バイに検挙された時と同様、法治国家において、そんな言い訳は通用しません。

つまり、デジタル監自らが、デジタル著作物にとってきわめて重要な著作権を踏みにじったことが白日に晒され、世間の笑いものとなりました。
某女史は、もう退任されましたが、この話は笑い話としてデジタルデータに記録されて公開されています。たぶん、長く後世に伝えられるでしょう(笑)

詳しくは、こちらの報道記事で。

淀川河川事務所との問答

さて、話をもとに戻します。
もし仮に、国の機関が、他人の著作物である「sample」画像を100点を超えるような膨大な規模で無断転載したならば、先のデジタル監の不祥事と同様、これはもはや事件であり、お国の一大事です。

ことの真偽を確かめるために、淀川河川事務所に電話を入れて、担当課(調査課)に取り次いでもらいました。

担当者に確認しましたところ、次のような回答を得ました。
※注:以下のQ&Aは、なにわの漫才風に多少脚色しています。さて、ボケはどちらでしょうか?(笑)
T:takaginotamago
Y:淀川河川事務所

T 公開されている古い水害の画像を拝見すると、デカデカと「sample」とすかし文字が入っています。
撮影内容が判読しにくいでのすが、一連の画像はレンタル画像ですか?

Y いや、そうではないです。

《ここで、デジタル監の笑い話を例に、一般的な「sample」画像の使われ方を説明》

T じゃあ「sample」と記載した理由もしくは意図は?
Y 画像を無断転載する人が多くて、その防止のためです。
T 無断転載、それは困ったことですね。

T ところで著作権法はご存知ですか?
Y よく知りません。
T 河川管理者が河川法を知っているように、サイトの管理者なら、著作権法をちょっとは勉強して貰わないと駄目ですね~
Y はい。

T ちょっと説明しますと、まず、著作物の作者には、複製や無断転載などを禁じることのできる著作権があります。そして、著作物が著作権で保護される期間というのは、法律や国際条約で決まっています。

著作者が個人の場合は、没年の翌年から起算して70(または50)年間、映画など組織による著作物や職務著作物の場合は、公開(公表)から70(または50)年間です。
日本での保護期間は、2018年12月30日までは50年でしたが、国際条約であるTPP11に批准した12月30日以降は70年になりました。

※注:TPP11関連の改正について、詳しくはコチラをご覧ください。https://takaginotamago.com/junk-box/tpp-copyright/

Y はあ。
T 内務省などが撮影した終戦前の写真は、少なくとも今から77年まえのものです。2018年12月30日時点で、発表されてからすでに50年以上経過しており、著作権の保護期間は終了しています。
Y はあ。
T つまり、著作権はもう消滅しているのです。
ご主張のように転載や複製を禁じたり、制限することができなくなっています。
まあ、言ってみれば、一定の歳月が経過して、「私の財産」が「国民共有の財産」あるいは「文化遺産」になったということです。

Y はあ。
T ですから、著作権の保護期間が終了している画像に入っている「sample」の文字はまったく意味をなさず、文字をはずして欲しいわけです。
公開されている写真には、貴重な記録が写っているのに、無造作な文字の挿入によって内容が分かりにくくなって、困っています。

Y 貴重なご意見、ありがとうございます。
T いやいや、「貴重なご意見」やのうて(ではなくって)、「貴重な記録」の公開に対する国民としての「要望」あるいは「権利」ですわ。
Y 内部で検討します。
T そんな杓子定規な対応ではなく、検討した結果をちゃんと知らせてください。電話で構いませんので。
こちらの電話番号は、012-3456-7890です。

【2022/06/19 現時点ではここまで、目下、淀川河川事務所からの連絡待ちです】

淀川の戦い

さて、結果は如何に?
近日公開予定

《速 報》戦況のご報告 

本日6月23日午後、検討とすかし文字の削除をお願いしておりました淀川河川事務所から電話があり、検討結果についての回答がありました。

画像について質問と改善の要望を伝えたのは6月16日でしたので、回答まで1週間、お役所の仕事としては、フットワークのかなり良い方だと思います。しかも、電話は担当課の担当者からではなく、実務トップの副所長から直々の回答でした。

結論から申しますと、要望は全面的に受入れられました

淀川河川事務所だけでなく、各地の河川事務所などで類似した資料写真(画像)の扱いかたについて、調整し統一を図りたいと言うことです。

該当する画像の点数が多い場合は、調整や作業にしばらく時間を要する見込みですが、今回指摘したような内容を損ねるような表示方法は、全面的に改めるとのことです。

きわめて短時日でしかも平和裏に解決できたことを嬉しく思います。ご配慮いただいた河川管理者ならびに関係各位にお礼を申し上げます。

2022/06/23


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