栗の木と杉皮でつくられた橋
田丸橋は、幅2mたらず、長さ15mほどの小さな橋である。トラクターぐらいならかろうじて通ることができるが、車はちょっと渡れそうにない。橋の向こう側の道は、くの字型に曲がりながら、山腹にある農家へとつながっている。
稲穂に囲まれた秋の田丸橋
橋はすべて木でできている。欄干の両端や中間から片側9本ずつの柱が伸びて、細長い屋根を支えている。屋根には杉の皮が葺かれていて、雨露をしのげるようになっている。
杉皮で葺かれた橋の屋根
この橋が架けられたのは1944年ごろのことだという。それまで架かっていた土橋が流されてしまったので、村の大工さんがつくったそうだ。
橋桁は両岸から張り出した太い方杖(ほうづえ)によって支えられ、麓川をひと跨ぎにしている。橋面の板と屋根を支える梁には、水に強い栗の木が使われている。貫(ぬき)に使われているのも栗の木で、「へ」の字の形に大きく湾曲した木の曲がり具合がそのまま活かされている。
誰のために屋根が?
ところで、屋根がついているからといっても、橋の上で寝起きしている風流人がいるわけではない。また、山に囲まれた辺ぴな場所にあるこの橋は、都会の歩道橋のように人通りが多い訳でもない。1日あたりの通行者は、せいぜい数人、多くとも10数人程度であろう。
以前は、周辺の山で焼いた炭を出荷する際に一時保管する場所として使われていたそうである。今でも収穫した作物を置いたり、農作業で使う道具などを一時保管する場所としても利用されているようである。物置の目的だけならば、橋の脇に小屋を立てればすむ。橋全体を覆うこのような大きな屋根は、少しおおげさにも思える。
欄干に沿って屋根を支える柱が並ぶ
とすると、この屋根は人のためにつくられた屋根ではなく、橋そのものが雨宿りするためにつくられたものと考えるべきかもしれない。田丸橋は木でできているので、長い歳月にわたって雨露にさらされると、どうしても朽ちやすくなってしまう。屋根があるのとないのとでは、当然、橋の寿命も違ってくるはずである。
たぶん橋を少しでも長持ちさせるために、このような屋根がつけられているのだろう。コンクリートや鉄製の橋に架け替えてしまえば、橋の寿命は一気に延びる。屋根の葺き替えなど数年に一度は必要な橋の手入れもしなくてすむ。しかし、そのような橋はのどかな山里の風景にはちょっとそぐわない。
屋根つき橋を守る保存会の人々
1970年ごろを境に、各地の農村にあった民家の萱葺き屋根が次第にトタン葺に変化したように、この田丸橋の屋根も一時期トタン板に貼り替えられたことがあった。手入れをするための人手不足や費用負担の問題からそうなったのである。
しかし、その後しばらくして、地元の人々は失った風景の価値に気づくことになった。地元の要望を受けた内子町が費用の一部を負担するということで、もとの杉皮葺きの姿に戻した経緯があったそうだ。
木の曲がり具合をそのまま活かした貫
1982年、田丸橋は「河内の屋根つき橋」として内子町の有形民俗文化財に指定された。それと前後して、橋を利用していた人々や地元の有志によって「田丸橋保存会」が結成された。橋の修繕や屋根の葺き替えは保存会の人々の手で行われてきた。
1998年の台風の折には、麓川が増水して橋桁近くまで水位が上がったという。この田丸橋は流れを妨げる橋脚をもたない独特の構造だったので、大きな被害は受けなかったそうである。
田丸橋を守ってきた地元保存会のおじさん(左)と橋を見に来た人
マディソン郡にある屋根つき橋ほど有名ではないけれど、四国の山里にひっそりとたたずむこの素朴な木橋は、日本の風土に溶けこみ、用・強・美が調和したよい橋である。杉皮葺きの橋を維持するためには、人手や費用もかかるであろうが、山里に架かる屋根つき橋が醸しだす風情を大切にしている地元の人たちによって、これからも守られていくであろう。