揖保川の流れ橋 揖保川(3)

■ 宍粟一宮の名畑橋

 龍野から揖保川沿いに北上し、中国自動車道のインターチェンジがある山崎を越えて、さらに10㎞ばかり上流に遡ると、一宮という小さな町に着く。町には播磨一ノ宮、つまり播磨の国で最も格式の高い伊和(いわ)神社が鎮座している。1万坪ほどの大きな鎮守の森に囲まれている社殿が造営されたのは、約1500年前という。稲作がはじまってまもないころには、この地が揖保川流域の中心であったことを物語っている。

神社の森を抜けて川のほうに行く途中の田んぼのなかに名畑(なばたけ)という集落がある。このあたりでも名産の「揖保乃糸」がつくられているようで、農家の軒先には出荷するときに使われる木箱が積み上げられている。

集落の横を流れる揖保川は、龍野あたりの下流とはすっかり様相を変え、所々に白い小波がたち、流れもかなり速い。流れの幅が狭くなった瀬のところに、時代劇にでも登場しそうな橋が架けられている。
細い板を渡した橋の名は名畑橋。国や自治体が道路の一部としてつくる普通の橋と違って、この橋は名畑の集落の人々によって古い時代に架けられ、代々管理されてきたいわばムラの橋である。橋は人しか渡れないが、対岸にある里山での山仕事や畑にいくために使われているようだ。

揖保川と名畑橋

普段の水嵩は低いが流れは速い

このあたりの川幅は広いところで100mほどある。そのうち、普段、水が流れているのは東寄りの約半分だけである。橋は川の中程にある河原のあたりで途切れているが、川幅いっぱいに増水したときには、橋桁の板も流れに浮かんで渡れなくなるので、普段通るだけならば、橋を渡った先が河原の真ん中でも構わないのである。
川のなかには、7~8mの間隔をおいて石をコンクリートで固めた台座が4つ築かれている。その上に渡された橋板は、台座の上に互い違いに置かれているので、橋を渡るときは少しジグザグに歩くことになる。

■すばやく復旧するための知恵と工夫

 この名畑橋は橋桁が年に数回、増水で流されてしまう。橋の復旧には、水が引いたあと名畑集落の人が総出で作業を行うことになっている。
この橋には流れ橋ならではの工夫がなされている。5本ある橋桁が、ワイヤーロープで岸と結ばれていることもそのひとつである。さらに興味ぶかいのは、中央に置かれた細長い板と、その両側に添えられた2本の丸太を組み合わせて橋桁がつくられている点である。中央の板は、厚さ20cm前後、幅35~40cm、長さ約9mの立派な一枚板が使われている。この板の両側には、直径15~20cmほどの丸太が添えられている。丸太と橋板には針金が巻かれて結束されている。

橋板は石積みのうえに交互に置かれている

流れた橋板を繋ぎとめるためのワイヤーロープ

この両側の丸太は、橋の幅員をおよそ70cmに広げる役割とともに、流れ橋を維持していくうえで重要な役目を果たしている。復旧の際、1本が10m近くもある橋桁はとても重いので、元の位置に戻すのはかなりの重労働である。
この橋は数人の人手で元の状態に戻せるように工夫がされている。復旧の時には板と丸太を別々にバラして、まず丸太を元の位置に戻す。次に丸太を「コロ」として利用しながら、板を元の位置に載せる。このやり方ならば比較的楽に作業できる。しかも、クレーンなどの大掛りな機械を使わなくても復旧できるので、維持費用も最小限度で済む。

■シソウイチノミヤ ナバタケバシ

橋板に彫り込まれた橋の名
シソウイチノミヤ ナバタケバシ

名畑橋の橋桁に使われている5枚の板には、「シソウイチノミヤ ナバタケハシ」の文字が刻まれている。木の橋なので、ところどころが痛んだりして朽ちはじめているが、橋の恩恵を受ける人々が、愛着をもちながら大切にしてきた様子を伺うことができる。

日本の川は、普段はおだやかな表情で流れ、美しいたたずまいを見せてくれる。しかし、梅雨や台風の季節には濁流が渦巻き、自然の猛威をあらわにする二面性をもっている。コンクリートでつくられた強固な橋ですら、時には流されて消えてしまい、再び新しい橋ができるまでの数ケ月間、川を渡れなくなってしまうことがある。
流れ橋は、川が増水した時に使えなくなったり、流された橋桁の復旧には手間もかかるが、かなりの大水がでても橋そのものが流失してしまうことはない。洪水に力ずくで立ち向かうという発想の橋ではなく、「柳に雪折れなし」という諺があるように、川という自然に逆らうことなく、うまく折り合いをつけてきた日本人の知恵がつくった橋である。
けれども、車が通れないことや復旧作業などで維持管理が必要なことから、普通のコンクリートの橋に架け替えられたりして、近年、急速に姿を消しつつある。少し不便で手間がかかるという理由だけで、日本の川からなくなってしまうのは、惜しいような気がしてならない。


■参考文献
・辰巳 和弘:「揖保川の流れ橋(名畑橋)」、森 浩一ほか編
『日本民俗文化大系 第13巻 技術と民俗(上)』pp.418-419、平凡社、1985

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