城下図に描かれた昔のまち・ひと・かわ 犀川(2)

■ 「金沢城下図屏風」のあらまし

 ここで紹介する「金沢城下図屏風」(石川県指定文化財、石川県立歴史博物館 蔵)は、いま風にたとえれば4Kハイビジョン映像に匹敵する精緻な描写が特徴である。
藩政期に200年以上をかけて、前田氏によって営々と構築されてきた江戸時代後期の城下の様子や、かつて二筋に分かれて流れていた犀川の一部を埋め立ててつくられた町人まちでの暮らし、まちの西側を流れる犀川と人々の関わりなどが見事に描かれている。特筆すべき点としては、伝統的な河川工法の一つである蛇籠(じゃかご)を用いた川普請の様子が描かれていることである。このほか、川魚の漁法もいくつか示されており興味ぶかい。
城下図は、幕末の狩野派画家、福嶋秀川(1804 ~1880年) の手になるものである。現在の金沢市の中心市街地に位置する犀川大橋を中心に、鳥瞰図の手法を用いて、川と城下の光景や人々の様子が描きだされている。城下の家並みの描写は、文化年間(1804~1813年)に描かれた町方絵図部分図の各町筋の家割り、家屋数、間口とほぼ一致しており、表現精度の非常に高い城下図として評価されている。

「金沢城下図屏風」右隻の第一扇~第六扇
(石川県立歴史博物館蔵、写真提供:石川県立歴史博物館)

■ 屏風に描かれた城下町の景色

 黄金色にかがやく城下図屏風は右隻と左隻にわかれている。それぞれ六扇からなる六曲一双の大屏風である。今回紹介する右隻には、犀川大橋と犀川右岸に位置する片町側の春の光景が描かれている。もういっぽうの左隻に描かれているのは、犀川を隔てた左岸の泉野(いずみの)台地にある野町や寺町周辺で、こちらは右隻とは季節をかえて秋の風景である。
両隻を合わせると、現在の犀川大橋から桜橋付近の両岸を一望することができるパノラマ写真のような写実的な絵図となる。犀川と城下の人々の関わりや、近世において川が果たしていた経済的・文化的な役割、当時の河川工事の様子などを知るうえで、たいへん貴重な史料である。

犀川は屏風絵の下端を右側から左側へと流れている。屏風の右端が第一扇であるが、第二扇から第五扇に描かれた川向こうの家並みは、現在の片町や大工町のあたりである。今でも当時と同じ場所に架かっている犀川大橋は第四扇に描かれており、橋詰から北国街道が右上に伸びている。街道筋の賑わいや商家の様子も精緻に描かれている。
また、第一扇から第四扇にかけての中央から上部には、兼六園のある小立野(こだつの)台地や卯辰山の丘陵地帯、第五扇と第六扇には河北潟や内灘の砂丘がみとられる。屏風の最上部には、医王山から砺波山へと続く遠景の山々が描かれている。卯辰山には桜やモクレンなどが咲き、季節は春である。

【次は】 城下図に描かれた昔のまち・ひと・かわ 犀川(3)


石川県立歴史博物館の WEBサイトには、左隻を含めた「金沢城下図屏風」の全容が紹介されています。ご覧になる場合は、石川県立歴史博物館へのリンクをクリックし て、[トップページ]のメニューバーから[主な所蔵品]-[資料検索]を選び、キーワードに「金沢城下図屏風」と入力してください。


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