播磨と因幡、現在の兵庫県と鳥取県を結ぶ街道のひとつに、赤穂から千種川に沿って北上し、支流の佐用川から峠を越えて智頭に抜ける街道があった。佐用町平福は、陰陽を結ぶこの街道に沿った宿場町として栄えたまちである。
平福の町並みは、他の宿場町のように同形式の町屋が軒を連ねるというものではないが、まちのすぐ東側を流れる佐用川に面して土蔵や納屋が建ち並び、かつて、この川が地域の経済や宿場町を支えていた頃の様子を彷彿とさせる佇まいをみせている。
川沿いの蔵屋敷には、流れに降りるための出入り口が設けられており、川舟を利用した物資の輸送や洗い場として川が使われていたのであろう。
けれども、それは遠い昔の話。静けさが漂う水辺の風景は、川が人々の暮らしから離れていったことを意味している。平福で暮らしをたててきた人々にとって、暮らしを支えた川は、既に過去のものとなってしまったのであろうか。
【本文へ】蔵屋敷が並ぶ川 佐用川(1)
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