蔵屋敷が並ぶ川 佐用川(1)

■川に沿った陰陽交通路

 千種(ちくさ)川は、兵庫県の西端部、岡山県境に程近いところを流れている長さ70㎞ほどの川である。中国山地から南に流れでて、赤穂浪士や製塩業で有名な播州赤穂で瀬戸内海に注いでいる。
鉄道や自動車交通が発達するまでの時代、日本の多くの川は、沿海部と内陸の諸地域を結ぶ交通路として利用されていた。赤穂でとれた塩も、海産物やほかの生活必需品とともに、高瀬舟と呼ばれる大きな川舟に積まれて千種川を遡り流域の各地へ運ばれた。ただし、川は遡るにつれて勾配が急になったり、流れの量が減ったりするので、一般に川舟による遡航は河口から中流あたりまでの範囲に限られていた。
千種川の場合は、河口から約30km離れた久崎までの区間で高瀬舟が使われた。久崎のまちは、千種川と支流の佐用川の合流点に立地している。この河岸で高瀬舟から降ろされた荷物は、馬や牛に積みかえられたり、人の背に担がれたりして、千種川や佐用川の河谷に沿った街道を辿って上流の地域へと運ばれた。

千種川の本流に沿った道は、中国脊梁山地に阻まれて行き止まりになっていた。いっぽう、支流の佐用川沿いの道は、小さな峠を経て西側を流れる吉井川水系の上流にある大原のまちにつながっていた。大原からさらに分水嶺に位置する志戸坂峠を越えれば、智頭から鳥取方面に通じていたので、佐用川の河谷に沿ったルートが瀬戸内と山陰を結ぶ主な街道のひとつとして利用された。

■宿場町 平福

 久崎から千種川を離れて、支流の佐用川の流れに沿って10kmばかり遡ったところにある平福(ひらふく)は、旧街道に面した細長い宿場町である。
旧街道とそのすぐ東側を流れる佐用川に沿って家並みが連なっている。

平福は高瀬舟の河岸が設けられた久崎ほどではないにせよ、かなり大きな宿場だった。昔は、下流から運ばれてきた生活物資や周辺地域でとれた薪炭・木材・大豆などの農産物が集まる市場町としても賑わいをみせたのであろう。
平福のまちを街道側から眺めると、旧街道に沿って商家風の建物が軒を連ねている。古い宿場町としての面影をよく伝える町並みが残されている。もちろん現在では、旧街道は舗装された道路に変り、それなりに車も走っているので、往時の様子とは変わっている。

いっぽう、路地を抜けてまちの裏手にあたる佐用川の河畔にまわると、おだやかな流れに面して大小の蔵屋敷が立ち並び、風情ある風景が展開する。この河畔では歳月はゆっくりと流れてきた。

【次は】蔵屋敷が並ぶ川 佐用川(2)


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