水神さまのいる川辺 筑後川(6)

■昔の「お水神さま」

 先に述べたように、以前は、お水神さまの行事は、準備を含めて一切合切子どもたちだけで行う慣わしとなっていた。相撲に興じている少年たちの父親は、年齢でいうと35歳から40歳前後だろう。自分たちが子どもだったころをすこし懐かしむように思い出話を語ってくれた。

「今は、世話役の大人も手伝って、1~2日で準備をしてしまうが、自分らが子どものころは、3週間がかりで子どもの手だけで準備したものだ。」

「一番たいへんだったのは、相撲の土俵づくり。毎日、学校から帰ってくると、土俵をつくるための砂を流れの横にできた砂州に集めに行った。水神祠の前まで、砂を一輪車などを使って運んできた。毎日毎日、汗だくだった。」

「土俵も、現在のような略式のものと違って、大相撲のように土を盛って本格的な土俵をつくった。」

「毎年、台風なんかで大水が出るたびに、川の様相が変わり、砂を集める州の場所も年によって上流から下流へと変った。水神祠から遠く離れたところにある州まで砂を集めに行かねばならない年は、ことのほか苦労した思い出がある。」

「上流にダムができてからは、流れ着く砂の量が減ったねえ。」

かつての豆力士も観戦のあいまに水神さまに手を合わせる

■川を見る力を鍛えた「お水神さま」

 この話のなかには、興味ぶかいことがいくつか含まれている。大水のたびに流れや州の位置が変わるという河床の動態のことを、河川工学では「砂礫堆(されきたい)の移動」と呼んでいる。川の平面形状がおおむね直線状の区間では、出水によって砂州の位置が上流から下流へ少しずつ移動していくことが明らかにされている。

このような砂州の形成過程や移動のことを、土俵づくりを通じて子どもたちが体験的に知っていたことには、とても驚かされる。

大水が出たあとは、砂州や流れの位置が変わる。上流から運ばれてきた砂の溜まる場所が移動することによって流れが変わる。流れが変われば、水難事故の起きやすい深みの位置も移動する。子どもたちは土俵づくりに使う砂を採取したり、運搬したりしているうちに、川が自然の力によってたえず変化していることに気づくのである。体験を通じて得られた知識や知恵は、ごく自然のうちに地区の子どもたちに共有され、川を見たり、川とつきあうための共通認識として継承されてきた。

お水神さまの行事が開催されるのは、毎年7月の初旬である。水遊びのシーズンを前にその年の川の様相を知ること、「川は生きものである」という認識を持つこと、この二つが水難事故の防止に大きく貢献してきたことは確かである。

【次は】水神さまのいる川辺 筑後川(7)


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