■ 川辺に遊ぶ牛
利根川に遊ぶてんとう虫と牛
写真提供:富士重工業株式会社『スバルの40年』(1998刊)より
最近はあまり見かけなくなってしまったが、牛が川辺の原っぱに放たれ、草を食んだり流れに足をひたして休んでいるさまは、なんとものどかな光景である。
上のこの写真は、自動車メーカーの歩みを記録したアルバムから許可を得て転載したもので、利根川で数頭の牛がゆるやかな流れの中に入って体を休めているようすが撮影されている。牛の左奥にみえる流れに突き出た杭の列は、水制(すいせい)といって、水の勢いをやわらげて河岸が削られるのを防ぐとともに、流れを川の中央部に誘導して澪筋の位置を安定させるために設けられたものである。
水制にはいろいろな種類があるが、このタイプは「杭出し」と呼ばれている。かつて、舟運が盛んに行われ、航路の水深を維持する必要があった利根川や淀川といった大きな川の下流に多く設けられた。
手前の車は、わが国のモータリーゼーションの草創期に「てんとう虫」と呼ばれて親しまれた名車スバル360である。この懐かしい車が生産されたのは、1958年から1970年にかけてのこと。昭和30年代後半から40年代頃の利根川では、こんなのどかな風景がみられたのである。
■ 川を旅した牛
晴れの日にはのどかな姿をみせる川には、もうひとつの顔が隠されている。ひとたび大雨が降って川が増水し、堤防が濁流の勢いを支えきれなくなると、川辺に住まう人ばかりでなく、水辺に遊んだ牛にとっても思わぬ災厄をもたらすことになる。
1998年8月に福島県や栃木県を襲った集中豪雨では、阿武隈川や那珂川水系で堤防が決壊するなどして水があふれ、流域の各地に大きな被害をもたらした。災害現場のようすを伝えるテレビニュースを見ていると、栃木県那須町を流れる余笹川だったと思うが、濁流が渦巻く川の中を牛が次々に流されていくシーンが放送されていた。なかには橋に引っかかって自力で橋に這い上がり、ようすを見守る人々に救助された牛もいたが、ほとんどの牛はなすすべもなく流されていく。飼い主や酪農家ならずとも、目をあけていられない光景である。
ようやく水位が引きはじめた2~3日あとの新聞には、那珂川下流の茨城県で牛の溺死体が多数漂着したことが報じられていた。ところが、なかにはいったん濁流に呑まれながらも生きぬき、ひたちなか市や桂村で無事救助されたり保護された牛も5~6頭いたという。見つかった場所は、上流にある栃木県下の牧場からだと50~100kmほども離れている。浮き袋がわりになる脂身が体についているとはいえ、強運であり、たいした生命力である。
そんなニュースを見てしばらくたった同じ年の秋、今度は岡山県を流れる吉井川でも、同じように川を旅した牛のことが報じられていた。
新聞によると、10月18日の未明、中流にある津山市の牧場が冠水し、生後約6ケ月の子牛が吉井川に流されてしまった。子牛は20日の朝、約90kmも離れた牛窓町の瀬戸内海に浮かぶ黄島で発見された。岩場から救出され、翌日には生家の牧場へ無事に帰ったという。見知らぬ川をくだっただけでなく、海まで泳ぎきってしまったのだからおそれいる。しかも、たどり着いたところが牛窓町ときているから、これはモ~表彰ものといえる。
牛が旅した2つの川 (※画像の牛はイメージです)
那珂川で苦難の川旅を強いられた数頭の牛は、乳牛のホルスタイン種や肉牛の黒毛和牛だという。厳しい水行を耐えぬいた聖なる牛であるからして、その牛乳を飲むときっとご利益があるだろう。しかし、ステーキやすき焼にして食べてしまうと、ばちがあたるかもしれない。これから黒毛和牛の肉を買うときは、産地をちゃんと確かめることにしよう。
もういっぽうの吉井川を津山から瀬戸内海まで泳いだ子牛の種類はわからない。後日の報道では、名前を公募して「元気」くんと名づけられ、津山市の近くにある勝央町の牧場だか施設で元気に育っているとのことである。
吉井川を旅した元気くんのその後であるが、NHKのローカルニュースによると、勝央町の観光施設「ノースヴィレッジ」で「奇跡の牛」として人気を集め、主人公にした紙芝居や絵本もつくられていたという。2020年1月14日に老衰で死亡。2月8日には牛舎の前でお別れ会が開催された。1998年の生まれのはずだから、22年間も生きたことになる。 【2020/02/10 追記】
【次は】荒ぶる川と闘った牛 遠山川(2)