荒ぶる川と闘った牛 遠山川(2)

■川にいるもうひとつの「牛」

 いきものの牛のほかに、日本の川には古く奈良時代の頃からすんでいる別の牛一族がいる。

それらは、「牛類」とか「牛枠(うしわく)」などと呼ばれる木でできた牛で、冒頭に紹介した川の流れをコントロールする水制の一種である。太い丸太を合掌状に組みあわせた構造で、三角錐や四角錐の形をしている。激流に流されないよう、足元には重しとなる石を詰めた蛇籠(じゃかご)を載せて、川のなかに設置される。

これらの牛は、設置される地域や川の状況に応じて、さまざまな構造や大きさのものがつくられてきた。そのわけは、川の勾配や河原に転がっている石の大きさ、出水の際の流れの状況などが川ごとに違っているからである。各地の牛はその川の性格にあわせて機能が発揮できるよう、構造や形に改良が重ねられてきた。

牛類のなかでも「聖牛(ひじりうし・せいぎゅう)」は、川の勾配が強く、河原に大小の石がゴロゴロ転がっているような急流にも耐えられるよう工夫された頑丈な牛である。

真横からみた聖牛、石を積めた蛇籠を重しにつかう
(これは別の川で展示用につくられたもの)

下流側からみた聖牛の後姿

■聖牛の構造と特徴

大聖牛の基本構造 眞田秀吉『日本水制工論』p.101

聖牛は、1本の長い棟木とそれを支える3対の合掌木からなり、下部には蛇籠を載せる棚が設けられている。全体の姿は三角錐を横に倒したような形をしている。地域によって多少大きさが異なることもあるが、棟木の長さが五間(約9m)のものを大聖牛(だいじょううし・だいせいうし)、長さ四間(約7.3m)のものを中聖牛という。荒ぶる川と戦うために、場所によっては大聖牛よりもさらに大きく、より堅牢な牛がつくられたことも記録に残されている。それらは大々聖牛とか鬼聖牛などと呼ばれた。

川に聖牛を置くときは、角がある背の高い方を川の上流に向けて設置する。大水がでると、濁流とともに上流から大小の石が運ばれてくる。聖牛は濁流のなかで水をはねながら、徐々に土砂を上流側に堆積させていく。牛と貯めた土砂とが一体になって河岸を守るのである。

聖牛が木でできているのは、昔は鉄やコンクリートを使えなかったこともあるが、出水時に川底の地形が多少変化しても、木を使えば各部材や聖牛全体が適度にしなることによって川底の変化に追随しながら安定し、壊れたり流されにくいためである。地震の揺れに強い五重の塔などと同じように、いわゆる柔構造となっている。

【次は】荒ぶる川と闘った牛 遠山川(3)

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