

大阪平野を横切ってゆったりと流れる淀川。大河であるがゆえ橋を架けるのは容易ではなく、かつての淀川にはたくさんの渡し場があった。
「平太(へいだ)の渡し」*は、江戸時代から約300年間続いてきた渡し舟だった。大阪市の北東部に位置する旭区今市と東淀川区豊里とを結んで、通勤や通学、買物などで淀川を渡らねばならない庶民の暮らしに欠かすことのできない足として活躍してきた。
淀川の歴史とともに渡し場の位置も移り、舟も手漕ぎの和舟から動力船へと姿をかえてきた。渡し舟は、単に渡河手段としての役割を果たしただけでなかった。世の中が気ぜわしくなった高度経済成長の時代にあっても、のびやかに流れる淀川の存在を暮らしのなかで感じることのできる格好の場を提供していた。
万博の開催で大阪が活気づいた1970年春、渡し場のすぐ横に豊里大橋が完成し、大阪市内を流れる淀川から舟の姿は消えた。
※平太の渡しは、平田の渡し とも表記される。ここでは、平太の渡しを用いた。
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