■平太の渡し-昭和36年のある日の光景
5人のお客をのせて渡し舟がやってきた
撮影:高木伸夫(このページの画像4点とも)
大阪市が運航していた平太の渡しは、季節ごとに運航時間が決められていた。
昭和36年当時、夏季は午前5時から午後8時まで、冬季は午前6時から午後8時までとなっていた。お役所仕事とはいえ、一年中、毎日早朝から12時間以上も運航されていたのだから、利用者の立場にたったサービス精神が感じられる。さすが大阪といったところか。いずれにせよ、文字どおり市民の足となっていたことは確かである。
船は両岸を頻繁に往復し、朝夕は通勤・通学の客が、昼間は買物にでかけるおばさん連中や大きな風呂敷包みを自転車に積んだ商人などたくさんの人々に利用されていた。近くの悪ガキどもが遊び半分で2~3回往復しても、船頭さんから叱られたという記憶はない。
ここに掲げた4点の写真は、廃止になる約10年前の昭和36年(1961年)のある日、旭区側から見た渡し場の様子である。
対岸の東淀川区側から5人のお客を乗せた渡し舟が左岸の舟着き場に近づいてきた。船のうえでは、千林に買物にでかけるおばさん連中が、ひざを交えて世間話に興じているようだ。
「273」という船籍番号が書かれたこの船は、前年に就航したばかりの21人乗りの発動機船である。船腹に記された番号の横には、大阪市の市章『澪つくし』が描かれている。
■よく守られていた乗降時のマナー
千林へ買物にでかけるおばさんたちは早足で船を降りる
ケレップ水制を利用した旭区側の船着き場
舟がつくたびに狭い舟着き場を客が行き交う
黒い小さな犬も船に乗ってきたようだ
対岸に着いて舳先が舟着き場につけられると、買い物篭を手にしたおばさんがいそいそと岸辺に降りたつ。それと入れ替わりに買物をすませた別の一団が帰りの船に乗りこんでいく。割烹着に手提げの買物籠という組み合わせも懐かしいスタイルだ。
大阪人にはいつの頃からか、電車などで乗り降りする際、ドアが開くと同時に降りる人を押しのけてでも我先に乗りこんでしまう妙な習性があるといわれている。しかし、少なくともこの時代の渡し場では、降りる人を待ってから乗るという乗降時のマナーは律儀に守られていた。
■渡し船の乗客たち
満員のお客を乗せて再び対岸に向かう
乗り降りの客でひとしきり賑わった舟着き場も少し時間がたつと落ちつきをみせる。しばらくすると買物帰りのおばさんたちを乗せた渡し舟が対岸に向けて出発していく。
船には定員近くにたくさんの人が乗っており、しゃがんだままで自転車を抱えている人もいる。今でいえばさしずめ満員の通勤電車やビルのエレベータに詰めこまれたような感じである。が、不思議なことに同船した乗客たちには、どことなくな和やかな雰囲気が漂っている。
渡し舟の乗客たちの顔には、都会人によくある冷たさや、人を押しのけてでもといった雰囲気があまり感じられない。大阪という庶民的な土地柄や時代の違いということもあるかもしれないけれが、買物を終えた安堵感やおおらかに流れる大川のもつ独特の開放感が、渡し舟に乗り合わせた人々の心を解きほぐしていたのに違いない。
【次は】 買い物は渡し舟にのって 淀川(4)